2025年02月27日

森茉莉『父の帽子』


1957(昭和32)年刊行の『父の帽子』(筑摩書房、第5回日本エッセイスト・クラブ賞受賞)に、「父の底のもの」「人間の「よさ」を持った父」を加えた全16篇のエッセイ集。

父森鷗外に対する作者の深い思慕はよく知られているが、それは幼少期に孤独だったためでもあるようだ。

次の弟の不律が死んでから杏奴が生れて、それが遊び相手になるまでの八年位の間、私は一人だった。兄は大きくてたまにしか相手にならない。女中と遊ぶことは禁じられている。唯一の話し相手であった父は、朝から薄暗くなるまで何処かへ行っていて居ない。母は小説を読んでいたり、考え事をしていたり、戸棚から行李を出して片づけものをしたりしていた。

作者の描く父の印象と母の印象は大きく違う。「お茉莉は上等よ」といつも褒めてくれる父に対して、母はしつけなどに厳しい人であったようだ。

私は父の顏を思い出す。微笑している顔、考える顔、しかめた顔、どんな場合の顔を思い出しても、父の顏には不愉快な影がない。浅ましい人間の心が覗いていた事がない。父は人間の「よさ」を持った稀な人間だった。
母は厳しかった。いつもきっとして、「まりちゃん」と呼んだ。母に呼ばれると、いつもぐにゃりとして、どこかしらんによりかかったりしているような私も、直ぐに起き上って、ピアノを復習(さら)ったり、勉強をしたりしなくてはならないようになるのだった。

森鷗外が主催していた観潮楼歌会の話も出てくる。

時々、観潮楼歌会というのがあって、二階の観潮楼に大勢の人が集まって、夜遅くまで賑やかに笑ったり、話したりしていた。(…)私は父の傍へ行って坐り、紙を貰って字を書いたり、絵を描いたりした。人々は、何か考えたり、書きつけたりし始める。

観潮楼歌会に参加していた石川啄木も、森茉莉のことを手紙や日記に書いているので、引いておこう。まずは、1908(明治41)年7月7日、岩崎正宛の書簡。

森先生の奥様は美しい人だよ。上品な二十八九位に見える美しい人だよ。令嬢は一人で六歳。茉莉子といふ名から気に入る。大きくなつたらどんな美人になるか知れない程可愛い人だ。一ケ月許り前からピアノを習ひに女中をつれて俥でゆくさうで、此頃君が代を一人でやる位になつたさうだ。羅馬字でMARI,MORI.と書いて見せたりする。可愛いよ。

続いて、同じ年の9月2日の日記から。

二時半頃、与謝野氏と平野君と突然やつて来た。平賀源内の話などが出た。一時間許りして、三人で千駄木の森先生を訪うた。話はそれからこれと面白かつた。茉莉子さんは新らしいピヤノで君が代を弾いたり、父君の膝に凭れたりしてゐた。

ピアノで弾いているのが「君が代」というのがおもしろい。これも時代だろうか。

1991年11月10日第1刷、2023年11月16日第37刷。
講談社文芸文庫、1200円。

posted by 松村正直 at 11:45| Comment(0) | 森鷗外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。