毎日のように「死にたい」思いに襲われる著者が、精神科閉鎖病棟への措置入院の経緯を記すとともに、自らの心に深く封じ込めてきたものを掘り起こし向き合った記録。
何とも凄絶で、時おり読み進めるのが辛くなる内容だが、「書く」ということの力を強く感じる一冊であった。
この本は、なぜわたしに「死にたい」が毎日やってくるのか、その理由を探すために、目的地も見えぬなか歩み出した旅の記録だ。わたしには書くという作業が必要だった。必要というより必然だった。書くことを通してでしか、〈自分〉という未踏の地に足を踏み入れる勇気を保つことはできなかった。
第T部「世界との接点」は、過去にさかのぼり自らの経験を具体的・客観的に描き出している。
14歳の時に急性骨髄性白血病となり1年にわたる入院生活を送った著者は、本当の病名を告げられず、でも密かに知ってしまったことで、深く傷つく。やがて病気は寛解したものの、今度は「生き残ってしまった」という思いに苦しむことになる。
両親や医師、社会との関わりのなかで、自分の話を聞いてもらえない、感情を無いものとされるという経験が何度も繰り返される。そうした過程でずっと抑えてきた思いが、肉体的・精神的な不調となって表れるのだ。
第U部「穿ちつづける」は、自らの体験をもとに心の問題を深く探っていく内容で、「食べる」とは何か、「謝る」とは何か、「時間」とは何か、といった哲学的とも言うべき考察が続く。
食べること、性的なことの共通点は、どちらも人の営みの中心にある、ということではないだろうか。つまり生きていることに直結していること。そしてこの二つはどちらも、自分ではないもの(他者)を受け入れて、自分と融合させることだ。
人が謝るとき、本来の許しを求めることを大切にしないで、謝るために謝ることが存外行われているんじゃないだろうか?許しを求めるということは、相手の気持ちを十分に想像して、そこに自分の気持ちを沿わせることだろう。
書くことを通じて、著者は長年封じ込めてきた感情と向き合い、自分自身や世界と出会い直す。昨年刊行した第1歌集のタイトルに『世界を信じる』と付けたのも、きっとそうした思いの反映なのだろう。
https://matsutanka.seesaa.net/article/507351655.html
2024年10月15日、医学書院、2000円。