ただ残念なことに、この若き詩人フランツ・クサーファ・カプスは後年、リルケのこれほどの助言にもかかわらず、いわゆるジャーナリズムを頼って、ベルリンの絵入週刊新聞に、みじめな大衆小説を書いているのを僕はこの眼で見た。これは悲しむべき事実である。たとえどのような生活の労苦があったにせよ、これほどのリルケの信頼に応えるのに、この有様はなんということであろうか、僕はしばし悲憤の涙にくれ、人間のあわれさに慟哭したのであった。
カプスに対するこの高安の痛烈な批判は、強く印象に残るものであった。そのため、私はカプスが通俗的な三文小説家になってしまったのだと心のどこかで軽蔑し続けてきたのであった。
それから、長い時間が過ぎた。
私は2009年から2011年にかけて「塔」に「高安国世の手紙」という文章を連載して、それを『高安国世の手紙』(2012年)にまとめた。その過程で、私は一つの事実を知ったのである。先ほどの訳者後記に関することだ。
でも、それは高安にとってあまり名誉な話ではないので、これまでどこにも書かずに伏せてきた。
そうこうしているうちに、2022年に『若き詩人への手紙 若き詩人F・X・カプスからの手紙11通を含む』という本が出て、リルケの手紙だけでなくカプスの手紙も私たちは読むことができるようになった。二人の往復書簡が揃ったのである。
https://matsutanka.seesaa.net/article/504016701.html
この本の刊行によって、カプスのイメージは大きく変わったと思う。
(この項つづく)