村上春樹の熱心な読者ではないのだが、時おり何かのきっかけで手に取って読み、そのたびに引き込まれる。『海辺のカフカ』もそんな1冊(上下2冊)だった。
僕らの人生にはもう後戻りができないというポイントがある。それからケースとしてはずっと少ないけれど、もうこれから先には進めないというポイントがある。そういうポイントが来たら、良いことであれ悪いことであれ、僕らはただ黙ってそれを受け入れるしかない。
エジソンが電灯を発明するまでは、世界の大部分は文字通り深い漆黒の闇に包まれていた。そしてその外なる物理的な闇と、内なる魂の闇は境界線なくひとつに混じり合い、まさに直結していたんだ
一つだけ気になったのは啄木に関する記述。
そのお父さん、つまり先々代は、自身歌人でもあり、その関係で多くの文人が四国に来るとここに立ち寄った。若山牧水とか、石川啄木とか、あるいは志賀直哉とか。
小説の主要な舞台となる高松の「甲村記念図書館」に関する話である。架空の図書館の話なので別にこだわることもないのだけれど、啄木は四国には行ってない。四国どころか横浜より西には一度も足を運んだことがない。
そのため、読んでいて「えっ??」と思ってしまったのだった。
2005年3月1日発行、2023年9月30日59刷。
新潮文庫、900円。