まずは、岸本尚毅の俳句時評「「写生」は言語操作」。岸本は宇井十間の評論集『俳句以後の世界』を引きながら、次のように書く。
俳句に「現前性」をもたらす「写生」という手法は、一般に考えられているような「見たまま」の描写ではなく、むしろ「言語操作」なのである。
これは短歌にもそのまま当てはまる話で、とても重要な指摘だ。
もう一つは、有田哲文記者のコラム「日曜に想う」。前田勉『江戸の読書会』を取り上げて、江戸時代の学習法である「会読」について記している。
一つの特徴が「遊び」の要素で、誰が書物を深く読めるかを競い合った。身分の上下に関係なく、実利にもつながらないからこそ、熱くなれた。
もう一つの特徴が、異なる意見に出合い、そこから学ぼうとする姿勢だ。加賀藩の藩校・明倫堂は学生にこう求めた。明白な結論に至るため、虚心に討論しよう。みだりに自分の意見を正しいとし、他人の意見を間違いとする心を持つのは見苦しい――。
これは、まさに歌会のあり方そのものだ。歌の前では誰でも平等。自由に意見を交わし合い、みんなで協力して一首の読みを深めていく。
そうした姿勢が大事なのは、短歌に限らない話なのだろう。