同じ著者の『中動態の世界』がとても面白かったので、今度はこの本を読む。
https://matsutanka.seesaa.net/article/502289063.html
「暇と退屈」がどのようにして発生し、それに人々はどのように対応してきたのか、また対応すべきなのか。過去の歴史を遡り、哲学や倫理学だけでなく人類学や経済学、精神分析学、生物学、医学など多くの分野の見解も踏まえながら論じている。
狩りをする人は狩りをしながら、自分はウサギが欲しいから狩りをしているのだと思い込む。つまり、〈欲望の対象〉を〈欲望の原因〉と取り違える。
食料生産は定住生活の結果であって原因ではない。農業などの技術を獲得したから定住したのではなくて、定住したからその技術が獲得されたのだ。
浪費は生活に豊かさをもたらす。そして、浪費はどこかでストップする。それに対して消費はストップしない。
「決断」という言葉には英雄的な雰囲気が漂う。しかし、実際にはそこに現れるのは英雄的な有り様からはほど遠い状態、心地よい奴隷状態に他ならない。
あらゆる経験はサリエントであり、多少ともトラウマ的であるとすれば、あらゆる経験は傷を残すのであり、記憶とはその傷跡だと考えられる。
ものを考えるとはどういうことか、どのように論理を組み立てていくか、そしてそれをどう伝えるか。そうした根本的な問題について、多くを学ぶことのできる一冊であった。
2022年1月1日発行、2024年5月25日24刷。
新潮文庫、900円。