2024年12月06日

井竿富雄編著『知られざる境界地域 やまぐち』


「ブックレット・ボーダーズ」の10冊目。

先日、山口県の岩国市を訪れたこともあって積ん読になっていたこの冊子を手に取った。山口がこのシリーズで取り上げられるのは意外な気がしたが、

大内文化は東アジアやキリスト教との交流とともにあり、長州は英国などとの戦争を契機に一挙に欧米と結ぶ開国の先導者ともなった。また山口は九州や朝鮮半島との結節点であり、近現代においても日本の光と影を体現してきた。

という記述を読んで納得した。

ついでに言えば、山口は横に長い。そのため、同じ山口と言っても、西が九州の影響力が強いのに対して、東は広島エリアに入る。
岩国市の中心に「国境」がある。瀬戸内海に向かって広がる大きな三角州の中に位置する米海兵隊岩国航空基地である。神奈川県厚木基地や沖縄県の基地を越え、今や東アジア最大規模といわれる。
この秋吉台も戦前は日本陸軍の実弾演習場として広島第五師団隷下の第四二連隊が演習を重ねる場であった。それを戦後、山口県に駐屯したニュージーランド軍が強制接収。一九五五年からは同軍に代わって在日米軍の海軍航空部隊が対地爆撃演習地としての使用を打診してきたことがあった。
日本の大陸進出、戦争の拡大とともに、日本と朝鮮半島・大陸との間を関釜連絡船により大量の客貨が往来した。関釜連絡船の繁栄とともにあった下関の繁栄は、日本の大陸進出と一体だったのである。

なるほど、戦前の「樺太」との往来は稚内―大泊の稚泊連絡船が担ったが、「朝鮮・満州」との往来は下関―釜山の関釜連絡船が担っていたのである。

2023年9月25日、国境地域研究センター、900円。

posted by 松村正直 at 07:00| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
宝塚の草創期の演出家・久松一聲(1874〜1943)は日露戦争の時に自称・従軍記者として満州に渡りましたが、兵隊らと共に馬関(下関)から出帆し、青泥(ルビ:ダルニー)に着航したそうです。
輸送船は「佐伯丸」といい、3台のポンプで常に水を汲み出していないと沈むというボロ船で、玄海灘では揺れに揺れ、通常4日間の航路を7日間も要するという散々な船旅でした。
日露戦争勝利後の再渡航時には軍政が敷かれ、もともとロシア語だったダルニーは音の近い大連≠フ字が当てられ、大阪商船によって定期航路が開かれて最大景気に沸いていたと久松は回想しています。
Posted by 小竹 哲 at 2024年12月09日 11:30
小竹さん、コメントありがとうございます。
日露戦争に従軍した森鴎外も『うた日記』に大連の歌を詠んでいます。

大連のいり海に飲むやまかがちまづふた段(きだ)にきらんとぞおもふ
夢のうちの奢(おごり)の花のひらきぬるだりにの市(いち)はわがあそびどころ

2首目は「だりに」と書いていて、ダルニーに近い表記ですね。ダルニー(ロシア語)→大連(日本語)→大連(ターリエン、中国語)という変遷に歴史を感じます。
Posted by 松村正直 at 2024年12月10日 20:38
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