副題は「生活派短歌の旗手」。
「歌人入門」シリーズの10冊目。
土岐善麿の短歌100首の鑑賞に加えて、解説「短歌といっしょに長距離を走り切った生活者」が載っている。
――to katareba,
‘Ya, ima omoeri shika ware mo’ to ii, tagaini,
Yorokobishi koro! /『NAKIWARAI』
汗みどろの
顔をふりむけて、炎天の
荷ぐるまひきがわれをば見たり。/『街上不平』
つぶら眼の首振り人形真夜中にひとりゑみして首ふらず居り/『初夏作品』
いきなり窓へ太陽が飛び込む、銀翼の左から下から右から/『土岐善麿新歌集作品T』
はじめより憂鬱な時代に生きたりしかば然かも感ぜずといふ人のわれよりも若き/『土岐善麿新歌集作品2 近詠』
鉄かぶと鍋に鋳直したく粥のふつふつ湧ける朝のしづけさ/『夏草』
わが鼻を小(ちい)さき指につまむもの天上天下この孫ばかり/『相聞抄』
長い人生をかけて実に多様な歌を詠み続けてきたことが、初期から晩年に至る100首を読むだけでもよくわかる。
土岐善麿は青年時代から晩年まで一貫して「歌人」と呼ばれることを厭い、短歌を経済活動に結びつけようとしなかった。頼まれて選者をつとめることはあったものの、自ら結社を組織せず、弟子をとらず、短歌の指導書や入門書は書かなかった。
『現代短歌全集』(筑摩書房)全17巻を見ると、土岐善麿の歌集は『黄昏に』『新歌集作品T』『六月』『遠隣集』の4冊が入っていて、これは北原白秋、窪田空穂、斎藤茂吉、土屋文明、若山牧水とならんで最多である。
その割に論じられることがあまり多くないのは、結社や弟子がないという点とも関係しているのかもしれない。
私は最近「啄木ごっこ」の連載で啄木の友人としての土岐善麿について書いたが、これまでの『短歌は記憶する』『樺太を訪れた歌人たち』『戦争の歌』『踊り場からの眺め』にも土岐善麿は出てくる。短歌史に関して何か書こうとすると、必ずあちこちで出会う人なのだ。
2024年6月8日、ふらんす堂、1700円。
現在その弟子たちによって、平山の作品は名作ともてはやされ、高値で取引されています。
時がたち、弟子たちが死に絶えた頃が本当の評価ができる状態なのでしょう。
短歌界のことは何も知りませんが、結社に集う人たちには、自分の価値が上がるように自分の師を持ち上げるのでしょう。評価には、時間がかかります。
評価に時間がかかるというのは、その通りでしょうね。短歌の師弟関係や結社は、過去の作品を受け継ぎ、語り継いでいくという意味で大きな役割を果たしています。その一方で、結社や弟子を持たなかった人の作品も、誰かがきちんと評価していくことが大事なのだろうと思います。
私は今まで、結社や師弟関係というものは派閥の親分・子分のように思っていました。
大変失礼なことを申し上げ、申し訳ありませんでした。