2024年09月24日

実作と評論

歌人には歌を詠むだけの人と、実作と評論の両方をする人がいる。「実作と評論は車の両輪」という考えがある一方で、評論が注目を浴びることは少ない。

 論作両輪を努めてきたが結局は歌だな歌だ歌人は歌だ
        奥村晃作『蜘蛛の歌』

ユーモアのある歌だが、多くの歌論を書き評論集を出してきた奥村さんの歌だけに、胸を打つものがある。評論は書いても書いても報われなかったという思いがあるのではないだろうか。(オンライン講座で直接ご本人に尋ねたところ、実作の奥深さを言っただけとおっしゃっていたけれど)

先日読んだ本居宣長『うひ山ぶみ』にも、この問題が記されていた。

歌学のかたよろしき人は、大抵いづれも、歌よむかたつたなくて、歌は、歌学のなき人に上手がおほきもの也。こは専一にすると然らざるとによりて、さるどうりも有るにや。
歌学の方は大概にても有るべし。歌よむかたをこそ、むねとはせまほしけれ。歌学のかたに深くかかづらひては、仏書・からぶみなどにも広くわたらでは事たらはぬわざなれば、其中に無益の書(ふみ)に功(てま)をつひやすこともおほきぞかし。

このように書きながら、宣長もまた『排蘆小船』『石上私淑言』など歌論を多く著した人なのであった。

posted by 松村正直 at 13:31| Comment(0) | 短歌入門 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。