2024年09月20日

本居宣長『うひ山ぶみ』


白石良夫の全訳注と解説付。

「詮ずるところ学問は、ただ年月長く…」の部分を高校の古典で習って以来の『うひ山ぶみ』を手に取ったのには、2つの理由がある。

一つは国学や本居宣長に関心を持つようになったこと。もう一つは、阿木津英『短歌講座キャラバン』ですすめられていたからである。そこには、

ああ生きていてよかったと思うような書物に、まれに出会うことがある。(…)本居宣長の『うひ山ふみ』は、そんな書物の一冊だった。

とあった。

実際に読んでみて(本文自体は短く、解説や注や訳文の方が多い)、確かに良い本であった。宣長が柔軟な考えの持ち主であることもよくわかった。原文も読みやすい。

才のともしきや、学ぶことの晩(おそ)きや、暇のなきやによりて、思ひくづをれて止(や)むことなかれ。とてもかくても、つとめだにすれば出来るものと心得べし。
文義の心得がたきところを、はじめより一々解せんとしては、とどこほりてすすまぬことあれば、聞えぬところは、まづそのままにて過すぞよき。
歌仙といへども、歌ごとに勝れたる物にもあらざれば、たとひ人まろ・貫之の歌なりとも、実(まこと)によき歟(か)あしき歟を考へ見て、及ばぬまでも、いろいろと評論をつけて見るべき也。

解説や注も丁寧で、宣長のことをいろいろと知ることができる。

『古事記』『日本書紀』の評価が逆転し、神話、国の始まりといえば『古事記』、という今日のイメージが定着するのは、じつに宣長の業績によってである。
古学は、古典の実証的研究であると同時に、和歌をはじめとする創作活動における、古典主義文学運動でもあったのである。

だんだんと宣長が身近な人になってきた気がする。

2009年4月13日第1刷、2023年6月5日第12刷。
講談社学術文庫、930円。

posted by 松村正直 at 10:14| Comment(2) | 国学 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
本居宣長の名前は、小学校の教師でアマチュア歌詠みだった祖父(明治24年生まれ)から教わりました。
テキストは昭和16年小学館発行の「子供のための傳記」シリーズの1冊の『本居宣長』という絵本で、新上屋の一夜とか、鈴の家とか、「朝日ににほふ山ざくら花」とか、子女の名前もこの本で覚えました。著者の高倉テルは、共産主義に傾倒しながらも偽装転向していた時期があり、同著もその頃に書かれたようです。
ほど経てのち大学の授業で先生(故・日野龍夫先生)が、本居宣長が精緻な架空の町の地図を描いていたというエピソードを紹介し、「宣長にはそんな変なところがありました」とおっしゃっていました。
Posted by 小竹 哲 at 2024年09月21日 09:10
宣長は詳しく見ていくと、いろいろと面白そうです。以前はまったく興味がなかったのですが、観光で松阪に行った際に新上屋跡や本居宣長記念館を訪れたことから関心を持ち始めました。国学者というのは学者や思想家であると同時に、ほとんどみんな歌人でもあるのですね。宣長も多くの歌を詠み、和歌について多くの論を書いています。

Posted by 松村正直 at 2024年09月22日 21:29
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