白石良夫の全訳注と解説付。
「詮ずるところ学問は、ただ年月長く…」の部分を高校の古典で習って以来の『うひ山ぶみ』を手に取ったのには、2つの理由がある。
一つは国学や本居宣長に関心を持つようになったこと。もう一つは、阿木津英『短歌講座キャラバン』ですすめられていたからである。そこには、
ああ生きていてよかったと思うような書物に、まれに出会うことがある。(…)本居宣長の『うひ山ふみ』は、そんな書物の一冊だった。
とあった。
実際に読んでみて(本文自体は短く、解説や注や訳文の方が多い)、確かに良い本であった。宣長が柔軟な考えの持ち主であることもよくわかった。原文も読みやすい。
才のともしきや、学ぶことの晩(おそ)きや、暇のなきやによりて、思ひくづをれて止(や)むことなかれ。とてもかくても、つとめだにすれば出来るものと心得べし。
文義の心得がたきところを、はじめより一々解せんとしては、とどこほりてすすまぬことあれば、聞えぬところは、まづそのままにて過すぞよき。
歌仙といへども、歌ごとに勝れたる物にもあらざれば、たとひ人まろ・貫之の歌なりとも、実(まこと)によき歟(か)あしき歟を考へ見て、及ばぬまでも、いろいろと評論をつけて見るべき也。
解説や注も丁寧で、宣長のことをいろいろと知ることができる。
『古事記』『日本書紀』の評価が逆転し、神話、国の始まりといえば『古事記』、という今日のイメージが定着するのは、じつに宣長の業績によってである。
古学は、古典の実証的研究であると同時に、和歌をはじめとする創作活動における、古典主義文学運動でもあったのである。
だんだんと宣長が身近な人になってきた気がする。
2009年4月13日第1刷、2023年6月5日第12刷。
講談社学術文庫、930円。
テキストは昭和16年小学館発行の「子供のための傳記」シリーズの1冊の『本居宣長』という絵本で、新上屋の一夜とか、鈴の家とか、「朝日ににほふ山ざくら花」とか、子女の名前もこの本で覚えました。著者の高倉テルは、共産主義に傾倒しながらも偽装転向していた時期があり、同著もその頃に書かれたようです。
ほど経てのち大学の授業で先生(故・日野龍夫先生)が、本居宣長が精緻な架空の町の地図を描いていたというエピソードを紹介し、「宣長にはそんな変なところがありました」とおっしゃっていました。