河野裕子が学生時代に所属していた熊本の歌誌「人間的」(人間的短歌会)に掲載された初期作品85首について書いている。この作品の存在は知っていたが、「人間的」の現物は見たことがなかったので、甲斐雍人や会員の河野作品に対する評などを興味深く読んだ。
致死量をあほりて失敗せしといふ話聞きつつ林檎むきおり
(昭和41年6月号)
白きコップ吾が残し来し病院の鉄のベッドに誰が眠りゐむ
(昭和41年8月号)
落日にあかく染るものみなかなし野に落つる鳩も汚れし山羊も
(昭和42年4月号)
はかられつつ試されてゐる愛ならむか楕円の形に月のぼり来ぬ
(昭和42年12月号)
河野裕子の初期作品については、「塔」2011年8月号(河野裕子追悼号)にまとめたことがある。それ以降に新たに見つけた歌もあるのだが、今のところ発表する機会がない。