日中戦争以前は、二年在籍すれば軍隊から除隊できた。しかし戦争の拡大とともにそれが困難となり、「三年兵」や「四年兵」が多くなった。当然ながら、除隊の望みを失い、内務班に閉じ込められた古参兵はすさんでいった。
ペニシリンを嚆矢とする抗生物質は、第二次世界大戦において初めて本格的に使用された。これは当時、レーダーとならぶ連合諸国の新技術で、負傷兵の治療に絶大な効果を発揮した。
高度成長期の経済循環の名称が「神武景気」「岩戸景気」「いざなぎ景気」だったこと、冷蔵庫・洗濯機・白黒テレビが「三首の神器」とよばれたことは、この時代のマジョリティが戦前教育世代だったことを物語っている。
一九七〇年代は、各地で公害や乱開発に反対する住民運動が台頭した時期であった。それ以前の反対運動では、開発で生活基盤が破壊される農民や漁民が中心的な担い手だった。だが七〇年代以降は、戦後教育をうけ人権意識が向上した、新世代の若い都市住民が担い手になっていった。
あとがきの最後に著者は、「願わくば、読者の方々もまた、本書を通じてその営みに参加してくれることを望みたい」と、近親者への聞き取りを呼び掛けている。
私の父は1940(昭和15)年に秋田県の農家の二男として生まれた人だが、5歳で母を亡くし、中学卒業後に集団就職で東京に出てきた。そこで東京生まれの母と出会って結婚することになるのだが、あまり詳しいことは知らない。
今度、父のところに泊まる時は、そういう話を聞いてみようと思う。