2024年09月04日

吉川宏志歌集『叡電のほとり』


副題は「短歌日記2023」。

ふらんす堂の短歌日記シリーズの14冊目で、2023年1月1日から12月31日までの365首を収めた第10歌集。

新年のなかに二つの「ん」の音の朝の陽のさす道を踏みゆく
まだ会いしことはなけれど娘(こ)の彼が看病に来ていると聞くのみ
雨のあと登りきたりし寺庭に泥跳ねをつけカタクリが咲く
夜のうちに十センチほど積もりたる偽のメールをつぎつぎに消す
菜の花の収穫をする人ありて軍手のなかの刃物は見えず
梅雨のあめ夜半(よわ)にやみたりチッチッと時計の針の音よみがえる
戦時下もコンビニは開いているだろう氷のすきまに珈琲そそぐ
比叡より落ちくる水のひとつにて梅谷川の暗きを渡る
背表紙を金(きん)に照らせる秋の陽のたちまち消えてうすやみの部屋
青く輝(て)る海に差し出す牲(にえ)のごと灯台は岩のうえに立ちたり

1首目、小さな発見がいい。『青蟬』の「冬」の字の歌を思い出す。
2首目、これだけで離れて暮らす娘が風邪など引いた状況とわかる。
3首目「泥跳ねをつけ」という細かな観察がいい。解像度が上がる。
4首目、雪の話かなと思って読み進めると下句で意外な展開が待つ。
5首目、菜の花と刃物のイメージの対比が「見えず」により際立つ。
6首目、時計の音はずっと変らないのだが静かでないと聞こえない。
7首目「氷のすきま」という表現の工夫が上句の想像を支えている。
8首目、雰囲気と味わいのある歌。「梅谷川」の名前が効いている。
9首目、日暮れの短い時間だけ、窓から射す光が本棚まで届くのだ。
10首目、灯台を「牲」と見たのが印象的。自然の美しさと厳しさ。

短歌に添えられた短文では、うさぎとぬいぐるみの話が2回出てくるのが印象に残った。4月5日と10月11日。「新年」の歌と同じで、人間は一つだと気にならないが二つだと気になるのだろう。

このウサギも先日亡くなったと聞いた。

2024年7月29日、ふらんす堂、2200円。

posted by 松村正直 at 10:47| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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