副題は「文学と思想の巨人」。
国学の大成者、本居宣長の生涯と業績を記した本。コンパクトな分量にわかりやすくまとめられていて、入門書として最適な一冊だ。
第一章「国学の脚本」は古道学(思想)と歌学(文学)という宣長の二本の柱の概説で、第二章〜第七章はそれぞれ宣長の二十歳代〜七十歳代を、「学問の出発」「人生の転機」「自省の歳月」「論争の季節」「学問の完成」「鈴屋の行方」として描いている。
この構成がとても巧みで、読みやすい。
もともと「大和魂」の対概念は「漢才(からざえ)」であった。それを宣長は「漢意(からごころ)」と読み替えた。
芳賀はドイツに行って国学を再発見したということである。芳賀が国学を日本文献学と名付けたのは、そのような経緯からであった。近代の国文学研究は、ドイツ文献学と近世国学を基盤として始まったのである。
真淵は万葉研究は存分にしたが、古事記研究にまでは手が回らないという忸怩たる思いを抱いていた。(…)宣長にとっての真淵も、真淵にとっての宣長も、お互いの欠を埋めるベター・ハーフであった。
物語は儒教や仏教による戒めのためにあるという考え方は、当時においては前提や常識であって、これを疑う者はいなかった。それゆえ宣長がそれらを真っ向から批判したのは画期的なことであったといえる。
なるほど。確かに同じ「物語」の中にも、今昔物語集のようにもともと仏教の教えや戒めを伝えるために書かれたものもあれば、源氏物語のようなものもあって、読み方次第で意味合いが変ってくる。
宣長は論争を好んだ。持論と異なる説に対して容赦なく反論し、結論が同じでも論理的手続きに疑義がある場合には、これを批判し、批正した。
このあたり、何だか茂吉にも似ていて、ひたすら論争している。
還暦の年に詠んだ「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」の歌は、散る桜を詠んだ歌として、戦争で命を落とす(散華)歌に読み替えられた。どこをどう読んでも朝日に映えて咲きほこる桜なのに、である。
これは確かにその通りで、宣長はかなり曲解されて利用されたと言っていいだろう。一方で、宣長の思想の中に自国中心主義や排外主義があることも事実で、そのあたりは十分に気を付けなければならない点だと思う。
2014年7月25日初版、2020年12月25日再版。
中公新書、840円。