大東亜戦とは米と小麦、水田と畑との文化戦である。稲を作り米を食ふ民衆が、麺麭を食ひ、小麦を作る民族に決して劣らない、否彼の為し得ざる処を成し遂げることを事実に示す秋が到来した。
永井威三郎『随筆水陰草』(1942年)に記されたものだ。永井はまた少年少女向けの『日本の米』(1943年)の中で、ドイツが食糧難により第一次世界大戦で敗北した事実をもとに、
あの大戦争は、つまりはたべ物のあるなしで、勝ち負けがきまつたとも考へられます。
と書いている。
ドイツの敗北から得たこの教訓は、大日本帝国陸軍にも広く共有されたものであった。そこから生まれるのが「総力戦」という考えである。先日読んだ『東條英機』から引く。
東條は、第一次世界大戦を経た今日においては「武力、経済、思想攻略等各種作戦を、一元的に統制する国家が、近代戦争の勝利者たることができる」と言い切り、ロシアなどの対日思想戦、プロパガンダ戦の脅威を指摘して(…)
つまり、戦争は武力だけでなく、経済戦であり、思想戦であり、情報戦であり、文化戦でもあるというわけだ。こうした思考は、いわゆる戦争協力の問題を考える際に欠かせないものだろう。
先日観た映画「アナウンサーたちの戦争」にも「電波戦」という言葉が出てきた。ナチスのプロパガンダ戦にならってラジオ放送で戦意高揚を図るとともに、戦場では偽の情報を流して敵を混乱させるというものだ。
もちろん、歌人も例外ではない。斎藤瀏『わが悲懐』(1942年)には、次のような認識が示されている。
新体制は従つて、国民各自に国防観念と国防力を充実するを要求する。高度国防は国家の総力を綜合することによつて、達せらるゝ故に、政治、外交、産業、経済、教育、文化、思想総てが国防を負担するを要する。(…)このことを歌人についていへば、歌人も国防人であるべく、その行動する短歌も消極的には国防を傷けず、積極的には国防を強化しなければならぬ。
この文章を現在の目で見て批判するのは簡単なことだが、その前にこうした認識がどのようにして生まれたのかを理解しておく必要もあるだろう。