「かりん」所属の作者の第3歌集。
スワロフスキーの硝子のあひる口あけてなにか訴ふ飾り棚の中
「ゆるされない」と誰かいひけり喪服なる人々のなか靴脱ぎをれば
ブルーベリー小鉢一杯摘んできて昼寝の夫の腹の上(へ)に置く
育ちゆくいのちの濃さに圧されつつ水平に差し出すお年玉
ただそこにゐることですら戦ひで椿は舐めるやうに見られる
ダックスフントは濡れた黒目の頭(づ)を捩りひとを見ながら曳かれてゆきぬ
麻雀は四人家族の遊びにて遥かな昭和の正月あはれ
こぶのやうに夫のとなりにゐるわれは夫に出さるる茶を享けて置く
車椅子押し始めればわれの胃のあたり漂ふ父のあたまは
隣室に吊せるみちのく風鈴がしづかに鳴る日、岸にゐるわれ
1首目、巻頭歌でタイトルとなった一首。作者自身の姿でもあろう。
2首目、強い口調に思わず手が止まる。濃密な人間関係の表れる場。
3首目、ユーモラスだが少しくらい手伝ってくれてもと思うのかも。
4首目、子を持たない作者の複雑な思いが滲む。「水平に」がいい。
5首目、上句が印象的な言い回しだ。椿は女性の喩でもあるだろう。
6首目、まだ行きたくないのに無理やり連れていかれる犬の哀しさ。
7首目、四人が標準家庭と言われていた頃にぴったりの遊びだった。
8首目、添えもののような存在にされていることへの鬱屈した心情。
9首目、「胃のあたり漂ふ」がいい。父への労わりと寂しさが深い。
10首目、風鈴の音を聞きながら、川岸あるいは此岸を感じている。
2024年6月12日、短歌研究社、2200円。