2024年08月08日

『放浪記』のつづき

『放浪記』は作者の自伝としてだけでなく、シスターフッドの物語としても読むことができる。暴力を振るったり経済力で支配しようとする男性に対して、女給仲間や文芸仲間と支え合い、励まし合い、時には立ち向かっていく。

時ちゃんが帰らなくなって今日で五日である。ひたすら時ちゃんのたよりを待っている。彼女はあんな指輪や紫のコートに負けてしまっているのだ。
飯田さんがたい子さんにおこっている。飯田さんは、たい子さんの額にインキ壺を投げつけた。唾が飛ぶ。私は男への反感がむらむらと燃えた。
私は生きていたい。死にそくないの私を、いたわってくれるのは男や友人なんかではなかった。この十子一人だけが、私の額をなでていてくれる。

もう一つ、先日読んだ頭上運搬の話も出てくる。

線路添いの細い路地に出ると、「ばんよりはいりゃせんかア」と魚屋が、平べったいたらいを頭に乗せて呼売りして歩いている。夜釣りの魚を晩選(ばんよ)りといって漁師町から女衆が売りに来るのだ。

尾道の小学校に通っていた1916〜17年頃の思い出である。まさに、三砂ちづる『頭上運搬を追って』に描かれていた通りの光景だ。

posted by 松村正直 at 20:39| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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