2024年07月30日

天野匠歌集『逃走の猿』

2003年から2016年の作品308首を収めた第1歌集。

駅前に聳える高級マンションといえど見た目は板チョコに似る
ラタトゥイユ平らげしのち思いおり閉経のまえに死にたる母か
あやまてばたちまち死者の出る仕事リフトに吊りて人を移しぬ
呑みながら話題の輪からそれてゆくさびしさもちて海ぶどう食む
東京の迷路浮き彫りとなるまでを成人の日の雪ふりやまず
独り居の父に金庫の開けかたを教わるゆうべこれで三度目
全盲の老女に降っているのかと問われて気づく硝子の雪に
アナウンスのこえ三重にかさなれる新宿駅に快速を待つ
この世へと押し出してやる枝豆のつややかな照り食えば楽しも
哄笑の起こらぬ施設 談笑はところどころに咲きて立冬

1首目、「高級マンション」と「板チョコ」の何とも驚くべき落差。
2首目、若くして亡くなった母。上句のシーンからの展開が鮮やか。
3首目、入浴介助の場面だろう。モノではなく人の命を預かる仕事。
4首目、「海ぶどう」のぷちぷちした歯触りに寂しさを噛み締める。
5首目、道路の部分だけ黒く残る。迷いの多い人生の象徴のように。
6首目、もしもの時に備えてなのだが、「三度目」が何とも哀しい。
7首目、窓の外に降る雪の気配を老女は敏感に感じ取ったのだろう。
8首目、「三重」はあまりない。多くの列車が発着する駅ならでは。
9首目、莢の中の暗闇にある時はまだ「この世」ではなかったのだ。
10首目、老人介護施設の様子。ゆっくりと穏やかな時間が過ぎる。

2016年5月20日、本阿弥書店、2700円。

posted by 松村正直 at 23:31| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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