第4回笹井宏之賞大賞を受賞した「塔」所属の作者の第1歌集。
水着から砂がこぼれる昨年の砂がこぼれて手首をつたう
冬の肘のかさつきに似た陽を浴びて広場の鳩にパンくずをやる
手のひらを水面に重ね吸い付いてくる水 つかめばすり抜ける水
うたたねの妹の口があいている飴を食べるか聞くとうなずく
おかえりと犬のしっぽがふくらます春の風船はちきれそうな
わるぐちとぐちの違いがわからない 鳩の身体に追いつく頭
夜の川に映る集合住宅は洗いたての髪の毛のよう
見つめれば犬の瞳におさまって手のひらから肘舐められていく
そういえば定食屋さんもうないねと言われるまではたしかにあった
めがさめてしめった布団から部屋がはなれていくゆっくりとだんだん
起き上がるまでのアラーム一つずつ消して朝から降る天気雨
人差し指握って離す 握られてできたみたいなゆびのいでたち
思いっきりぶつけた脛の残像が新宿の夜のクレープ屋さん
1首目、結句がいい。一年前の夏の記憶が体感とともに甦るようだ。
2首目、比喩が面白い。「かさつき」と「パンくず」の質感も似る。
3首目、同じ水であるのに粘り気を感じたりさらさらしてたりする。
4首目、妹の歌はどれも妙に存在感がある。日常のだらっとした姿。
5首目、喜んでいる犬の気持ちが「春の風船」により可視化された。
6首目、頻りに前後に動く鳩の頭は体に追い付こうとしていたのか。
7首目、かなり距離のある比喩だが、不思議と納得させる力がある。
8首目、犬の黒目に自分の全身が映っている。犬と私の距離の近さ。
9首目、以前から無くなっていたのだが認識としては今消えた感じ。
10首目、布団=部屋の睡眠の状態から次第に空間が生まれてくる。
11首目、時間差で3個以上の目覚ましが鳴る。全体の流れがいい。
12首目、まるで粘土を手のひらで摑んで生まれたような形である。
13首目、二つの出来事が記憶の中で強く結び付いているのだろう。
2024年7月6日、書肆侃侃房、1800円。