副題は「若き詩人F・X・カプスからの手紙11通を含む」。これまで『若き詩人への手紙』はフランツ・クサーファー・カプス宛のリルケの手紙だけが出版されていた。そのため、
カプスはリルケに求められた詩人になる使命を果たすことができず、それゆえに大詩人に宛てた彼の手紙は公式には「残っていない」という伝説
があった。けれども、今回カプスのリルケ宛の手紙が収録された本書が刊行されたことで、二人の往復書簡が揃い、リルケが手紙に記した言葉の意味が明確になるとともに、カプスの名誉回復も実現したと言っていいだろう。
晩年、「リルケの手紙のおかげで、受け取っただけなのに、私は自分で書いたものによってよりもずっと有名になってしまいました」と語ったというカプス(1883-1966)の数奇な人生を思わずにはいられない。
この本を読めば明らかなように、カプスはもともと「詩人」ではなく、軍人である。陸軍士官学校卒業後にオーストリア・ハンガリー帝国の士官となり、第一次世界大戦にも従軍している。リルケに最初の手紙を送ったのも、リルケが陸軍学校を中退して詩人になった経歴の持ち主だったからだ。
陸軍学校から士官への道を歩みつつ、詩や文章など文学への憧れを捨てきれなかったカプスが、8歳年上のリルケに手紙でアドバイスを請うたのである。そういう意味では、第一次世界大戦後に退役して作家・ジャーナリストとして活躍したカプスは、自らの思い描いていた道に進むことができたと言っていい。
もう一つ印象的だったのは、二人の手紙が実にさまざなま住所から送られていることである。カフカはヨーロッパ各地に出掛け、カプスも軍隊の移動に伴って転居する。手紙は転送されながら相手に届き、何か月もかけてやり取りが行われている。現代のラインやメールのやり取りとはまるで違う。
カフカの手紙の発信地は「パリ」「ピサ近郊ヴィアレッジオ(イタリア)」「ブレーメン近郊ヴォルプスヴェーデ」「ローマ」「ボルゲビイ・ゴオ、フレディエ、スウェーデン」「フルボリ、ヨンセンド、スウェーデン」となっている。
一方のカプスの手紙の発信地は「ウィーン新市街」「ティミショアラ(現ルーマニア)」「ボジョニ、ドナウ通り38、ハンガリー(現スロバキア)」「ナーダシュ(現スロバキア)」「南ダルマチア、コトル湾、ツルクヴィチエ(現モンテネグロ)」だ。
1902年から1909年まで交わされた二人の手紙。その多くが100年以上の時を超えて残されたのは奇跡のようなことだと思う。
2022年6月30日、未知谷、2000円。