作者が自選した23篇を収めた短篇小説集。
長らく積ん読していたのだが、ちょど良い時期に読むことができた。志賀直哉が京都や奈良に住んでいた頃の作品も多く、なじみのある地名などが出てくる。
私小説が中心なのだが、主人公を「私は」と書くか「彼は」と書くかで、作者との距離が微妙に違ってくるのがおもしろい。
三人の女の子たちは久しぶりの上京のうれしさからしきりにはしゃぎ、待合室のソーファからソーファへと移り歩き、人なかをかまわず遠くから「お母様。お母様」と呼びかけた。(「晩秋」)
「ソーファ」は今のソファーのこと。sofaの発音にむしろ近いかもしれない。
豊岡、それから八鹿(やおか)辺では汽車から五、六間の所に鸛(こうのとり)が遊んでいるのを見た。(「プラトニック・ラヴ」)
1926年の作だが、当時コウノトリは普通に見られる鳥だったようだ。その後、1971年に国内の野生のコウノトリは一度絶滅することになる。
晴れてはいたが風が吹き、朝日ビルディングから淀屋橋へ来る川端が寒かった。二人は美津濃運動具店へ寄り、そこで男の子のシャツとかズボンとか、そういうものを買った。(「朝昼晩」)
「美津濃運動具店」はミズノのこと。調べてみると現在も登記社名は美津濃株式会社で、通称がミズノであるらしい。そして創業者は水野利八・利三兄弟なのだとか。
1938年10月15日第1刷、2014年7月9日第20刷。
岩波文庫、800円。