著者が1988年から2008年まで、20年間にわたってカルチャーセンターで作っていた冊子「旅隊(キャラバン)」の後記71篇と、受講生の歌集の跋文5篇を収めている。
後記はどれも1〜4ページ程度の短い文章だが、著者の主張や短歌観が明確に記されていて印象深い。誰が相手でも手加減せずに本気で取り組んでいたことがよくわかる。
自分の既知の世界を、ことばという記号によって連想して「これはよく分かります」などと言って共感するのが歌ではない。それは要するに自分の体験を反芻しているのにすぎない。
自分の作品の弁解をしない。これは、歌会をするときのもっとも基本的な態度であって、くどくどと自分の歌の弁解を始める人に「弁解はいらない」という叱責の声が飛ぶのを、わたしは若い頃しばしば聞いた。
推敲ということは、本当に難しい。自分の歌ほど、わからないものはないからである。下手な推敲をするより、新しい気持ちで、新しい歌を作った方がいい場合も少なくない。しかし、まったく推敲ということを考えないのも、やはり進歩がなかろう。
賞められようとする気持を捨てて下さい。確かに賞められることはうれしい。しかし、それは自分が行っていることのオマケである。賞めことばで釣られようというのは、自分を幼児の位置に卑しめることではないか。賞められようと賞められまいと、なすべきことをなすのが一人前の大人というものだろう。
自分が自分の歌のもっとも厳しい批評者であるのが、本来のありようだ。人の目はごまかせても、自分の目はごまかせない。自分の物足りない歌を毎日ながめて、自分の何が不足なのか、ここをのりこえるにはどうすればいいのか、考えるのだ。
きっぱりとした物言いも著者の持ち味で、読んでいて気持ちがいい。以前、5年にわたってご一緒した現代短歌社賞の選考会でも常にそうであった。
2016年6月11日、現代短歌社新書、1204円。