臨時東京第三陸軍病院は昭和13年に創設された東日本最大の陸軍病院で、数千名の患者を収容していたという。現在の独立行政法人国立病院機構相模原病院である。
中河の序文には「昭和十六年秋以来、月二回日曜日に相模原の第三陸軍病院へまゐり傷兵の方々と御一緒に和歌の勉強をしてまゐりました」とある。中河の指導のもとに、傷兵たちは短歌を詠んでいたのだろう。
村山は傷痍軍人だったのだ。彼の歌は全部で8首収められている。
起き出でて東に向ひわが立てばああ太陽が太陽が見ゆ
故郷にひとりわびゐの母の上に思ひぞ勝る春雨の音
夕ぐれになりにけらしな文机の鉢のサフラン花とぢにけり
懐しき故郷人は母上の元気なたより持ちて来ませり
庭に出でて指にまさぐる藤の秀(ほ)のふくらむみれば夏遠からじ
野中なるこの病院にひねもすをひばりの鳴けば故郷思ほゆ
雨樋の水音しげくなりて来ぬ寝つつし思ふ大灘の波
うつそ身はめしひてあれど国の為死なしめ給へ天地の神
1首目に「ああ太陽が太陽が見ゆ」とあって、もしかしてと思ったのだが、8首目を読むと村山が戦傷により失明していたことがわかる。「太陽が見ゆ」は明るさが感じられるということなのだろう。
「春雨の音」「ひばりの鳴けば」「雨樋の水音」など聴覚に関する歌が多いのも、視覚が失われているからだ。
夕ぐれになりにけらしな文机の鉢のサフラン花とぢにけり
この歌のサフランは春に咲くクロッカスのこと。花は日が当たると開き夕方になると閉じる。「けらし」という推量が用いられているのは、目が見えないからだ。
5首目では藤の花房に指で触れて膨らみを感じている。おそらくクロッカスにも指で触れてみて、花が閉じていたので夕方になったと知ったのだろう。