「シリーズ・私を語る」の一冊。1996年11月25日から翌年1月23日まで、熊本日日新聞の夕刊に45回にわたって連載された文章をまとめたもの。誕生から67歳に至る自らの半生を振り返っている。
石田比呂志の短歌もおもしろいが、文章も実に味わい深い。山崎方代のエッセイにちょっと似ている。時おり自虐を織り交ぜつつも、その裏に自らの信念を貫く強い自負が感じられる。
それ(啄木の『一握の砂』)を開いて読んだ時の感動をどう言い表せばよいのであろうか。言うに言葉を持たないが、あえて言えば、地獄で仏に出会ったというか、とにかく救世主に出会った気分で(…)
そこから投稿した歌が新聞歌壇に載った。たかが新聞歌壇というなかれ、自分の歌が生まれて初めて活字になった感動は本人でなければ分からない。
このあたり、私にも同じ覚えがあるので強く共感する。
以前、石田比呂志と松下竜一の関係についてブログに書いたことがあるのだが、そのあたりの事情もよくわかった。
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138409.html
この時期私は仕事らしい仕事もせずに(いつもそうだが)昼間から焼酎に酔い喰らっていたが、その私の部屋の裏に『豆腐屋の四季』で有名になる松下竜一氏が住んでいて、後には奇縁を結ぶことになる。
石田と松下の貴重なツーショットも載っている。
最後に真面目な短歌についての話も引いておこう。
「牙」も結社だから、選歌、添削という教育的側面、歌会という指導的側面のあることは否定できない。が、それはあくまでも側面であって根本は一人一人が自得、独創してゆく世界だ。つまり芸は先達から恩恵を受けることはあっても、授受という形での継承はあり得ない。
生前にお会いできなかったのが何とも残念だ。
1997年4月21日、熊本日日新聞社、1238円。