葵祭は平安時代から続く祭だが、古くは賀茂祭と呼ばれていて、葵祭の名前になったのは江戸時代に再興されてからのことらしい。
この再興にも国学者らが深く関わっている。
江戸時代中期になって世の中が落ち着いてくると、戦国時代の動乱で焼滅したり廃絶したものを再び興そうとする気運が出てきました。これは国学の復古の精神と同じもので、当時の技術を尽くし、さらに古い時代のものを復元しようとするのです。そして、それに国学者の研究成果が反映されるようになっていきます。(…)公家の野宮定基や滋野井公澄らの考証により、元禄七年(一六九四)には京都の賀茂神社の葵祭が再興されています。(『やさしく読む国学』)
なるほど。大昔から続いているように見える行事や祭も、実際にはこういう形で甦ったものが多いのだろう。