第3歌集。
モザイクのタイルをおほふ草の中お風呂ではしやぐ子らの声せり
てのひらの菌を殺せば遠つ世の仏陀のまなこに翳のさしたり
崖ぞひの軒にそよげる鯉のぼり岩肌に尾を削られながら
石段(いしきだ)の泥(ひぢ)は乾けり台風ののちを流れて炎暑の川は
陰惨に抜かれし牛の舌に似てジャーマンアイリスくらき花弁よ
草原を過ぎゆく雲のかげのなか白きイーゼル残されたまま
本当の名は知らぬまま離(か)れしひとの恥骨あたりのほくろをおもふ
開かれたポストの中を下がりゐる牛の胃袋のごとき見てゐつ
父を憎む少年ひとりをみつめゐる理科室の隅の貂の義眼は
ひしめける真鯉の口をぬひてゆくすずしき貌の鳰(にほ)の一羽は
1首目、廃屋の風呂場だった所からその家の子たちの声が聞こえる。
2首目、手の消毒をすることは仏教の不殺生の教えに反するのかも。
3首目、下句がいい。風にそよぐたびに岩に擦れてしまうのだろう。
4首目、増水した時の名残の泥がこびりつき無惨な姿を見せている。
5首目、かなり個性的な連想だ。牛タンを食べるために抜かれた舌。
6首目、夢の中の風景のよう。絵を描いていた人は消えてしまった。
7首目、本名を知らない相手との性愛の記憶。下句がなまなましい。
8首目、郵便ポストの中にセットされている回収袋。比喩が印象的。
9首目、少年時代の回想か。剝製の貂の義眼と少年の暗い眼を思う。
10首目、関わりを持たない鯉と鳰。でも官能的な雰囲気を感じる。
2024年1月17日、短歌研究社、2100円。