2024年04月07日

江田浩司『短歌にとって友情とは何か』

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「北冬」の連載をもとにした第T部「短歌にとって友情とは何か」と第U部「寺山修司をめぐる断想」をあわせて一冊にまとめた評論集。

中心となる第T部では、石川啄木と金田一京助、岡井隆と相良宏、与謝野晶子と山川登美子、小中英之と小野茂樹などの関係を例に、友情とは何かについて考察している。

どのような親密な関係も、幸福の絶頂にあるとき、関係の崩壊は密かに気がつかないところで進行している。
孤独でなければ、友情の真の意味が理解できないのであれば寂しいが、孤独なるが故に、友情の持つ崇高さに触れることができるのならば、孤独であることの豊かさが友情とともに花開くこともあるだろう。

こうした友情論とともに印象に残ったのは、本歌取りや批評に関する鋭い指摘である。

「本歌取り」による歌の世界の重層性は、単に新しく創造された歌のことだけを指しているのではありません。本歌とそれに基づく歌との相互の世界が、創造を基点として、どちらにも拓かれてゆくことが必要とされているのです。
批評は、自分の短歌の好みを語る場でも、自己の短歌観の正当性を主張する場でもない。あくまでも、テクストに即し、その可能性を追求する場であり、テクストの読みを批評の言葉として提示する場である。

一つ気になったのは「斎藤茂吉と吉井勇」について論じた章に「二人に親密な交友関係があったわけではない。むしろ、勇と茂吉が、このような歌を送り合ったのには意外の感がある」と書いている部分だ。

細川光洋『吉井勇の旅鞄』は、『斎藤茂吉全歌集』に収録されていない茂吉の吉井勇宛の書簡24通(京都府立京都学・歴彩館所蔵)があることを述べた上で、次のように記している。

若き日に長崎で歓楽をともにし、「ダンスホール事件」ではともに妻と別居して冬の時代を過ごした二人は、心と心の深いところで通じ合う間柄であった。

これは二人の関係を考える上で大切なポイントだろうと思う。

https://gendaitanka.thebase.in/items/83845387

2024年2月26日、現代短歌社新書、1800円。

posted by 松村正直 at 08:55| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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