ビルの影、木の影、我が影 一方(ひとかた)に倒れて都心の休日静か
春の夜のシフォンケーキはほぼ空気 ほろほろ空気を零しつつ食む
空也吐く小仏ほどの幽(かそ)けさに秋の夕暮れ鳥渡りゆく
大洋を航(ゆ)くべかりしに街をゆく我の肩より垂るる帆布は
明日の朝摘果さるべき実も容れてビニールハウスにメロンしずけし
あまたなる耳が夕陽に透きながら交差してゆく渋谷駅前
支払いを終えたる人はその杖を再び取りて歩み始めぬ
小さなる甕棺ありて小さなる骨が小さき石を抱きいる
八月の銀河が蒼く展(ひら)く下 紐解けやすき靴にて歩む
三人(みたり)して眠れば雪の下にても温かからむ能登の父母兄(ふぼあに)
1首目、本体は大きさも形も異なるけれど、影は同じ方向に伸びる。
2首目「ケーキ」と「空気」の音が響き合う。何とも軽やかな印象。
3首目、有名な空也上人像を用いた見立てと遠近感が実に鮮やかだ。
4首目、一澤帆布製のかばん。帆船や海への憧れを胸に秘めている。
5首目、メロンだけでなく人間の運命のことなども思わされる歌だ。
6首目、耳に着目したのがいい。スクランブル交差点を行き交う耳。
7首目、特別なことは何も言ってないのに、これで十分に歌になる。
8首目、縄文時代の抱石葬。「小さ」の繰り返しが悲しみを伝える。
9首目、上句と下句の取り合わせがいい。天上の銀河と地上の靴紐。
10首目、故郷の墓に眠る肉親たち。能登の風土への心寄せが滲む。
2024年1月25日、角川文化振興財団、2800円。