歌作による被追放者は一人のみその一人ぞと吾はつぶやく
小泉苳三『くさふぢ以後』
という有名な歌があり、歌人で公職追放を受けたのは小泉苳三だけと思っていたからである。「ポトナム」主宰で立命館大学教授であった小泉は、1946年に教職不適格と審査され大学を追われた。
公職追放者約20万人の氏名を掲載した総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』(1949年)を見ると、中村正爾(アルス編集部長)以外にも、
・斎藤瀏(言論報国会理事 明倫会理事)
・吉植庄亮(推薦議員)
・大熊信行(大日本言論報国会理事)
・三井甲之(著書)
・保田與重郎(著書)
といった歌人の名前を見つけることができる。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1276156
ちなみに、この名簿は「安部」から始まって「ア」の名前がしばらく続いた後に「馬場」になる。あれっ?と思ってよく見ると、アイウエオ順ではなくABC順に並んでいるのだった。まさに、戦後という時代を感じさせる名簿と言っていいだろう。
そして、これが大事な点なのだが、小泉苳三(小泉藤造)の名前はこの名簿には見当たらない。つまり、小泉は公職追放を受けてはいないのだ。
小泉が受けたのは「教職追放」であって「公職追放」ではない。まず、この二つを明確に区別しておく必要がある。
・教職追放(1946年5月7日の勅令「教職員の除去,就職禁止及復職等の件」)
・公職追放(1946年2月28日の勅令「就職禁止、退官、退職等ニ関スル件」、1947年1月4日の「公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令」)
教職追放の該当者は大学教授など約7000人であったが、公職追放は国会議員をはじめ約20万人という大規模なものであった。そこには、先に記したように何名かの歌人も含まれている。
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