626首を収めた第11歌集。
〈ゆふやけをひきずるやうにゆつくりとじかんのかみのまひまひつぶり〉という歌があるので、タイトルの蝸牛は「かたつむり」ではなく「まいまいつぶり」と読むのかな。
きみ逝きてきみの見しものみな消えき日光の鹿も尾根ゆくわれも
距離おきて認めあひをり赤城神社榛名神社の大杉同士
放し飼ひのごときにあれど柵ありぬ柵までゆかず豚ねむりをり
いまだれもきてをらざればわれはゐて乙見湖畔のきくざきいちげ
白い火を地につきさしてゐるごとし遠くにならぶ白木蓮(はくもくれん)は
親不知けふぬかれたり吾とともにやがて焼かるることまぬかれて
花といひ散りたるといひ悲しむに一連のながれにゐるともおもふ
簡易宿泊所におもへらく天井の染みもここまで旅してきたる
人体を余分と思(も)へば駅伝に襷が宙を移動しつづく
労働の消えたるごとしうつとりと鏝(こて)から壁のうまれたるとき
待つといふまぶしきことをしてをりぬをんなの子朱の傘をまはして
立葵バスケット部とバレー部の姉妹ならべるごときに高き
待たされてゐるあひだにて鉄道とこの道出会ふところ雨おつ
鍵盤をきれいといふ子ゆびさきを渓流の魚のやうにうごかす
みづみづとはだかをまとふ柿わかばはだかみられてうれしきわかば
1首目、きみの死によってともに過ごした自分の一部も消えるのだ。
2首目、どちらも立派な杉なのだろう。何百年も前からのライバル。
3首目、柵に囲まれていることを知らないで豚は生きているのかも。
4首目、肉体のない魂や幽霊みたいな「われ」が湖畔に立っている。
5首目、上を向いて咲く白木蓮を「白い火」と見立てたのが印象的。
6首目、三句以下に驚く。自分が死後に焼かれる姿を想像している。
7首目、咲いて散るまでが一つの出来事。人生も同じかもしれない。
8首目、布団だけがあるような安宿。流れ流れてやってきた感じだ。
9首目、確かに大事なのは人体ではなく襷。利己的な遺伝子みたい。
10首目、作業中は塗り跡が見えるけれど仕上がると跡が残らない。
11首目、待つというのは未来があること。下句の描写が鮮やかだ。
12首目、23音も使った長い比喩。漫画のようで抜群におもしろい。
13首目、踏切と言わないのが巧み。別に何でもない場面だけれど。
14首目、白と黒の鍵盤がまるで渓流のながれのように見えてくる。
15首目、つやつやと明るい柿若葉。生命力の溢れる様子が伝わる。
あとがきに「ほとんど記憶と想像で詠んでゐるため、歌はあちこちへ飛びます」とある。肉体の不如意が心の自由を生み出しているのかもしれない。
2023年12月20日、書肆侃侃房、2600円。