民俗学の調査で全国各地を訪れた著者が、村の成り立ちや暮らしの様子を子ども向けにわかりやすく記した本。原著は1950(昭和25)年に朝日新聞社から出ている。
70年以上前の本なので現在では失われた生活や風習の話もでてくるが、その分、貴重な記録にもなっている。また、時代を超えて変わらない部分が多いことにも気付かされる。
歴史は書かれている書物のなかだけにあるのではなく、このような、ほろびた村のあとにも、また私たちのくらしのなかにもひそんでいます。
徳川時代に、村長にあたる役目を、東日本では、名主とよんでいるところが多いのです。西日本では、庄屋というのが一般的です。
神主というのは、今では職業的になっていますが、昔は村の人々がつとめました。村によっては、今でもこのならわしがおこなわれています。
正月と盆は、ちょっと見れば、少しも似ているとは思えませんが、農村でおこなわれていることをしらべてみると、いろいろと似ている点もあり、もとは同じような祭りであったと思います。
日本各地のさまざまな様子も描かれている。
岩手県の三陸海岸は津波の多いところで、海岸にある村が、何十年目かに一度さらわれてゆきます。(…)長いあいだ、津波もないから、もういいだろうなどと思って、海辺に家をたてているとひどい目にあいます。
まさに東日本大震災の津波被害を思わせる記述だと思う。
まずケズリカケとかケズリバナというものをつくります。ヌルデやミズブサの木のようなものをうすくけずって、その端は、木につけたままにして花のようにするのです。それを神様にそなえます。
小正月に供えられていたという削り花。アイヌのイナウ(木弊)によく似ている。
長野県の山中で、多くの人々がおいしいものとして喜んだ「飛騨ブリ」という魚は、もとは富山県の海岸でとれたものですが、馬やボッカの背によって飛騨にはこばれ、さらにそこから、飛騨山脈をこえて長野県へ持ってこられたのです。そのあいだに、塩がちょうどよいかげんにきいてきて、おいしくなっているというわけです。
若狭から京都に鯖を運んだ鯖街道など、全国各地にこうしたルートがあったのだろう。
宮本常一はやっぱりいいな。
1986年11月10日第1刷、2000年3月28日第14刷。
講談社学術文庫、800円。