2024年02月01日

石原真衣編著『記号化される先住民/女性/子ども』


2021年に北海道大学アイヌ・先住民研究センターにおいて開催されたシンポジウムを書籍化したもの。6篇の論考を収めている。

論じている内容はそれぞれ違うが、全体としてマイノリティーや記号化をめぐる数多くの問題が浮かび上がる構成になっている。

「深い精神性」などという言葉が、アイヌ文化の枕詞としてよく使われるが、言葉の具体的な中身に踏み込んで語られることはなく、とにかく精神性が高いのだ、と繰り返される。これは「聖化」と呼ばれる差別の一類型であり、野蛮・未開視の裏返しでもある。
/北原モコットゥナシ「神秘と癒し」
先住民を記号化する主語は、個々の日本人殖民者であると同時に、それを内面化していく被植民者も含む。それは時代の構造的な認識論であるということだ。
/中村平「記号化される台湾先住民」
研究者は研究資料を先住民族を含むソース・コミュニティから収集し、研究室の分析や考察を経て、研究成果として公にする。しかし必ずしも、この研究成果は本来の資料の保有者である地域社会や先住民族に向かい発信され、共有されてきたとは言えない。
/加藤博文「記号化による文化遺産の植民地化」
オリエンタリズムを背景にもつ帝国の語りは、帝国の主体が男性ジェンダー化される一方で、植民地の側の人種は他者化され、エキゾチックな性的魅力をもった女性ジェンダーを媒介に欲望の対象とされるといった定型をもつ。
/内藤千珠子「フィクションの暴力とジェンダー」
この新しく輸入された概念に特徴的なことは、家族のケアを担っている子どもは歴史的にも現在も多数存在していたのにも関わらず、それとして認知されていなかったということ、そして記号が与えられた途端に突然可視化しようとする強い力が働いていることである。
/村上靖彦「記号が照らすすき間、記号から逃れる本人」
なぜ、疾患を抱える人びとが多いのか、依存症やDVの問題が多いのか、怒りを手放せない人びとが多いのか、という問題について、それらの問題を個人化するのではなく、先住民が経験したコロニアリズムの問題として捉え直すことがいまわれわれに求められている。
/石原真衣「先住民という記号」

こうした論考を読むことで、さまざまな気づきがあった。例えば「ゴールデンカムイ」の主人公である元軍人の杉本とアイヌの少女アシㇼパが男女のジェンダーであることも一つの「定型」と捉えることが可能だろう。

私は以前、短歌雑誌の特集「アイヌと短歌」の中で、与謝野寛の歌を取り上げて「飲酒癖をアイヌの個人的な資質に帰するのではなく、和人社会に取り込まれていく中で、差別や生活苦のためにアルコールに依存してしまうという社会的な問題として把握しているのだ」と評価したことがある。

映画「キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン」でもアメリカ先住民の飲酒が描かれていた。「先住民が経験したコロニアリズムの問題」という世界各地に共通する大きな視点で捉えることの重要性を感じた。

2022年8月10日、青土社、2200円。

posted by 松村正直 at 11:12| Comment(0) | 樺太・千島・アイヌ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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