1972年に晶文社より刊行された本の文庫化。柄谷行人訳。
「未成年の時代」「オートメーション、余暇、大衆」「黒人革命」「現代をどう名づけるか」「自然の回復」「現在についての考察」の6篇を収めた批評集。
1965〜66年に発表された文章なので時代背景も大きく違い、理解の難しい部分も多かった。
アフォリズム的に印象に残った文章を引いておく。
無為を余儀なくされた有能な人間の集団ほど爆発しやすいものはない。
文字は書物を書くためではなく、帳簿をつけるために発明されたのだ。
権力というものはつねに人間の本性、つまり人間という変数を行動の方程式から消去してしまおうという衝動を帯びている。
アメリカにおける黒人のジレンマは、彼がまず黒人であり、個人であるのは二次的なことにすぎない、ということである。
われわれが権力を満喫するのは、山を動かしたり川の流れの方向を左右したりするときではなく、人間を物体、ロボット、傀儡、自動人形、あるいは本物の動物に変えることができるときなのだ。
こうした文章は、発表から50年以上経った今も十分に通用する内容だと感じる。
2015年6月10日、ちくま学芸文庫、1000円。