2024年01月17日

石原純のシベリア詠(その2)

つち赭(あか)き山脈(さんみやく)みゆる駅にして、
宝石売りの男見にけり。

ウラル山脈に近いスヴェルドロフスク(エカテリンブルク)の光景と思われる。「スヴェルドロフスクで土産物を買う日本人は多い。ウラル山脈で産出する石を、駅で売っているからである。」

冬頭巾あつく被れる農婦らが
卵売るなり。
停車場に来て。

シベリア鉄道には食堂車もあるが、食料品を持ち込む人が多い。途中の駅にも売店があり行商の人がいる。「各駅の線路沿いにあるバラック式の売店では、食料品や土産物を安い価格で売っていた。」

ようろつぱとあじやの境するすと云ふ
塔を見にけり。
遠く我が来て。

蒼ばみて
うらるの峰はたかだかと
我れのゆく手に暫(しま)らくは立ちぬ。

ウラル山脈を越える線路わきにオベリスク(記念碑)が立っている。「四〇分後に左側にオベリスクが現れるから、見逃さないでと彼女は言った。それはウラル山中にある、アジアとヨーロッパの境界の標識のことである。」

鐘鳴れば
停車のひまの遊歩より人帰りくるなり。
遽(あはただ)しげに。

シベリア鉄道の乗客は車内で長時間過ごすので、駅に到着すると運動も兼ねてホームを歩いたりする。「停車駅のプラットホームは数少ない運動場となる。」「発車の約五分前には一点鐘が、発車と同時に二点鐘が鳴る。」

十日駛(は)せて
汽車モスクワの街につきぬ。
空いとさむく朝みぞれせり。

石原は「しべりやの旅」の後に1200字ほどの文章を記している。

「嘗て欧洲への留学の途を私はシベリヤに採つた。ウラジオストツクからモスクワ迄十日の間を広軌の汽車に揺られながら通つた。(…)欧洲は多くの珍しさを私に与へたけれど、シベリヤの広大は私に最も深い印象を残したものの随一である。(…)」

シベリア鉄道に乗ってみたくなってきた。

posted by 松村正直 at 07:23| Comment(0) | シベリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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