2024年01月16日

石原純のシベリア詠(その1)

石原純は1916(大正5)年にヨーロッパ留学のためシベリア鉄道に乗った。歌集『靉日』(1922年)には、その様子を詠んだ「しべりやの旅」88首が収められている。『シベリア鉄道紀行史』を参照しながら読んでみたい。

税関吏(ぜいくわんり)
厚き外套に軀(み)を纏ひ、
船に入り来るが不気味なりけり。

敦賀からウラジオストクに船で到着したところ。「船中で一泊するとウラジオストク。港務官と税関吏が乗船して、パスポート・手荷物の検査を行うので、乗客は甲板に手荷物を並べて検査に立ち会わなければならない。」

汽車のなかの一区劃(しきり)なるわが室(へや)に、
徒(たゞ)すわり居つつ、
ひろき野をゆく。

不馴(ふな)れなる汽車の寝台(しんだい)におきいでて、
服(ふく)よそほひぬ。
よそびとのまへに。

シベリア鉄道の車内の様子。「一等はコンパートメント(小さく仕切られた客室)の定員が二人か四人で、二等は四人室である。」

天垂るる遠きさかひに、
ばいかるは限りなく白く
浮びいでにけり。

湖べりの崖(がけ)のあひだに、
隧道(とんねる)の数のおほきが
こころうばへり。

シベリア鉄道は当初バイカル湖を航路でつないでいたが、1904年にバイカル湖の南岸を迂回する路線が開通する。「日露戦争中のバイカル迂回線の難工事はよく知られている。」

味淡きばいかるのうみの青魚を
我が食しにけり。
ろしやびとのなかに。

石原が食べたのはバイカル湖に生息するオームリという魚のようだ。「バイカル湖で最も有名な魚はオームリ。」「燻製なのにフレッシュで、バイカル湖の恵みが口一杯に広がる。」

posted by 松村正直 at 08:26| Comment(0) | シベリア | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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