ちょうちょう ちょうちょう 菜の葉にとまれ
菜の葉にあいたら 桜にとまれ
桜の花の 花から花へ
とまれよ遊べ 遊べよとまれ
桜の花の周りを飛び回っている蝶が詠まれているが、こうした光景はあまり目にすることがない、というのだ。確かに菜の花と蝶の取り合わせは一般的だが、桜と蝶の印象は薄い。
この歌詞は戦後の1947年に改作されたもので、もとの歌詞(1881年の『小学唱歌集』初編)では、次のようになっていた。
蝶々 蝶々 菜の葉に止れ
菜の葉に飽たら 桜に遊べ
桜の花の 栄ゆる御代に
止れや遊べ 遊べや止れ
これを見るとわかる通り、桜は単なる木としてではなく、天皇や日本の象徴という役割を担っていた。そのため、明治の近代国家成立の時期に、やや無理をして桜を歌詞に入れたのだろう。
この歌詞そのものは、古くからあるわらべ歌が元になっているという。それは、はたしてどんな歌であったのか。
小泉八雲『神々の国の首都』には多くのわらべ歌が引かれているが、その中に次の歌があった。
チョウチョウ チョウチョウ ナノハニトマレ
ナノハガイヤナラ テニトマレ
なるほど。「菜の葉」はあるけれど「桜」はどこにもない。子どもたちが呼び掛けるのは何とも素朴な「手にとまれ」であったのだ。
最初の2小節以外は我々がよく知っている「ちょうちょう」とは全く別のオリジナル旋律で、歌詞ページが無いため表記は不明ですが、こんな内容です。
ちょうちょう ちょうちょう/からまつやまは/まだひがさむい/ちらちらとべよ
ちょうちょう ちょうちょう/さんがつしがつ/きりくもはやい/ぬれぬれとべよ
ちょうちょう ちょうちょう/からまつばらは/もうめがもえる/きぶかくとべよ
ちょうちょう ちょうちょう/ちんころぐさも/はやしにあかい/おおきくとべよ
調べてみると、三木露風&山田耕筰の「赤とんぼ」コンビも、「蝶々 蝶々」で始まるこんな童謡を作っていました。
蝶々 蝶々/蝶々がとんだ/障子に影して/てふてふがとんだ
垣根のそばの/つつじの花が/紅くさいて/春風ふくよ
蝶々 蝶々/どぅこへいつた/しやうじにうつる/影見たばかり
野原の方へ/てふてふよゆけよ/野原は花が/たくさんあらう
こちらのほうはメロディーは分かりませんが、いずれにしても「蝶々 蝶々」という素朴な繰り返しの音韻が、日本人の音感にピタッと合ったような気がします。
「蝶々 蝶々」で始まる歌はいっぱいあるんですね。驚きました。そもそも「蝶々」自体が「蝶」の繰り返しなので、何回繰り返しているのやら。日本語のオノマトペは二音の繰り返しが多いので、そのあたりとも関係あるのかもしれません。
話の拡がりついでに、中国語は歴代の上野のパンダの名前に見るが如く、同音を重ねて愛称にしていますね。