副題は「台湾・樺太・パリへ」。
1930年から1936年までの海外への紀行文をまとめたもの。旅先は、台湾(1930年1月)、満洲・中国(1930年8月)、シベリヤ・パリ・ロンドン・ナポリ・マルセイユ(1931年11月〜1932年6月)、樺太(1934年5月)、北京(1936年10月)。
20代後半から30代前半の若さで精力的に知らない土地をめぐっている。文体も軽快で、読んでいて楽しい。それぞれの街の特徴を摑むことにも長けている。
台北の城内は常識以外の何ものもない。私には公園も博物館もおよそ静脈だ。只空の上には、台湾らしい土語が、ピンパン、ピンパン弾けている。だが城外は、万国旗のような光景だ。台湾の動脈が踊っている。
私は杭州へ来る汽車の中で、中国の若い女が二人、英語で話しあっているのを見たが、同じ国でありながら、言葉が通じないなんて! 何の不自然さもなく、英語で話しあっている中国の女を見て、私は中国と云う国のでかでかと広いのに愕いてしまった。
物が安いと云えば、パンがうまくて安い。こっちのパンは薪ざっぽうみたいに長くて、それを嚙りながら歩ける。これは至極楽しい。パリーの街は、物を食べながら歩けるのだ。
都会の持つ建築と云うものは、少しも風景的でなく、どこの国の都会とも、共通した文明さがあるものですが、国を見るならば、まずその国の田舎から見る事でしょう。ソヴェートの田舎の風景は、まるでイソップ物語りの絵のようです。
時代は満洲事変から日中戦争にかけての時期である。日本の植民地支配や日中の関係悪化についての意見も記されている。
内地女の知識階級程、厭なものはない。飯をたく事より、本を読む事より、社交が大事らしい。それも内地人同士の間の社交である。それから、内地人が苦力(クーリー)をこきつかっているのには、足から血が登るような反感を持った。
いずれの国の人民も愛国心を持たないものはない……東洋の平和は、東洋の女達がもっと手を握りあってもいいのじゃないだろうか。
来年あたり、日本の知識婦人を束にして連れてゆきたいものだ。小さなところで議論をむしかえしているよりも、早くそうして、深く支那を識ってほしい。友達からでも、まず手を握りあいたい。支那の女はだんだん強く大きくなって来ている。
林芙美子、もっといろいろ読んでみたくなった。
2022年4月25日、中公文庫、990円。