第8歌集。
明確な方法意識に基づく連作によって、ベトナム戦争、カンボジア虐殺、ダイヤモンド・プリンセス、コロナ禍、広島、伊方原発、沖縄戦、辺野古、タイタニック、小林多喜二、オウム真理教など、過去や現在のさまざまな社会問題を詠んでいる。
困難な状況に置かれた人々、虐げられた人々に心を寄せる姿勢が一貫している。
ブレーキとアクセル踏みまちがへたといふ日本(につぽん)がそしてある老人が
ショーウィンドウの隅にカナブンころがれり新墓なればみづから光り
世界中のゴミうちあげられてゐる渚となりし息子棲む部屋
明けない夜はない のだけれど子の部屋に目覚まし時計三つを拾ふ
しらじらと花びらよりそひ花筏ながれゆくなり誰をも乗せず
淋しとふ文字が千体立ちつくす三十三間堂どれが妣なる
あまたなる蟻おほいなるキャラメルを襲ひつつあり昼のしづけさ
ぽつてりと玉子を落としソース塗り焦がしてゐたりここが爆心地
どこまでもドミノのやうにならぶ墓きらきらと倒れ永眠は来む
もがく蟻籠めたる琥珀うつくしき秋の陽は来てわたしを浸す
1首目、高齢者ドライバーによる事故に日本社会の縮図を見ている。
2首目、死骸がそのまま自らの墓になっているという発想が印象的。
3首目、上句の比喩が強烈。足の踏み場もないほど散らかっている。
4首目、信じる気持ちと迷う気持ちが二句の途中の一字空けに滲む。
5首目、結句に発見がある。筏は筏でも人を乗せることのない筏だ。
6首目、千体千手観音立像を「淋」という字に見立てたのが鮮やか。
7首目、拡大した映像を見ているような生々しさ。「襲ひ」がいい。
8首目、広島を詠んだ一連にある歌。お好み焼きと原爆のイメージ。
9首目、墓の最後はどうなるのか。日本の墓事情を考えさせられる。
10首目、いつしか私も樹脂のような陽射しに閉じ込められていく。
2023年8月10日、短歌研究社、2200円。