その問題について、少し考えてみたい。
会の終了後に安田純生さんから、桂園派の歌には「かな」が多く使われていると教えていただいた。
大空のみどりになびく白雲のまがはぬ夏になりにけるかな
一むらの氷魚かと見えて網代木の浪にいざよふ月の影かな
/香川景樹
桂園派の歌人に「けるかな」が多いことについては、当時から批判や揶揄があったらしい。「けるかなと香川の流れ汲む人のまたけるかなになりにけるかな」という狂歌が詠まれたりもしている。
気の変る人に仕へて
つくづくと
わが世がいやになりにけるかな
子を負ひて
雪の吹き入る停車場に
われ見送りし妻の眉かな
/石川啄木『一握の砂』
啄木の歌には「けるかな」も「名詞+かな」も多い。
桂園派の歌からの影響という線については、今後調べてみたい。
もう一つ思ったのは、蕪村との関連である。
啄木は一時期、蕪村の句集を愛読していた。
楠の根を静にぬらすしぐれ哉
山は暮て野は黄昏の薄哉
狩衣の袖のうち這ふほたる哉
/蕪村
蕪村に「けるかな」は見当たらないが「名詞+かな(哉)」は頻出する。こちらも、今後の検討課題としよう。