2023年11月05日

村上春樹『猫を棄てる』


副題は「父親について語るとき」。
絵・高妍(ガオ・イェン)。

2020年に文藝春秋社より刊行された単行本を文庫化したもの。亡き父との思い出を記しつつ、父の戦争体験の意味を問い直している。

当時はまだ海は埋め立てられてはおらず、香櫨園の浜は賑やかな海水浴場になっていた。海はきれいで、夏休みにはほとんど毎日のように、僕は友だちと一緒にその浜に泳ぎに行った。
生まれはいちおう京都になっているのだが、僕自身の実感としては、そしてまたメンタリティーからすれば、阪神間の出身ということになる。同じ関西といっても、京都と大阪と神戸(阪神間)とでは、言葉も微妙に違うし、ものの見方や考え方もそれぞれに違っている。

このあたり、関西に住んでいるとなるほどと思うことが多い。
高安国世も阪神間育ちの人。
https://matsutanka.seesaa.net/article/387138714.html

読書というのは流れが大切だと思っていて、小堀杏奴『晩年の父』→『猫を棄てる』は父の思い出つながり、乃南アサ『美麗島プリズム紀行』→映画「エドワード・ヤンの恋愛時代」→『猫を棄てる』は台湾つながり(イラストの高妍は台湾出身)。

こんなふうに別の文脈が交差するところには、何か大事なものが潜んでいると思っている。

2022年11月10日、新潮文庫、660円。

posted by 松村正直 at 21:37| Comment(2) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私は東西で言えば関西アクセント圏の三重県出身ですが、社内会議の公用語が大阪弁という会社に就職し、かなり言葉を矯正しました。これはイントネーションが変だと笑われたこともありますが、それ以上に大阪では通じない言葉や言い回しが多かったことによります。
それがある程度マスターできたかな、と思っていた頃、何かの折に関西弁≠ニ言ったところ、漫才・放送作家の故加納健男先生から「関西弁などという大雑把な言い方はするな」とたしなめられました。
そう言われてから注意して聴いていると、確かにそうであることが判ってきました。私が好きなのは大阪府の南の方の、何と言いますか、ちょっと鼻に懸かったような、柔らかなイントネーションです。これはちょっと真似できません。
結局私が30数年の間に外国語として体得した言葉が、関西地方の一体どのエリアのものかは分からずじまいですが、郷里に帰って小中高時代の友人と飲んでいると、かつて私も使っていた懐かしい言葉がいっぱい耳に飛び込んできます(上野駅の啄木みたい・・・)。
学生時代、東京の大学に行った奴と久々に会うと、すっかり東京の言葉に変わっていて驚くことがありましたが、現在の私の言葉は、故郷の友人の耳にはベタベタの関西弁≠ノ聴こえているのかも知れません。
ほとんど自分語りの長話で失敬しました。長話ついでに『ことばの「なまり」が強みになる!』(吉村誠著/自由国民社)という本が、あっと言う間に読めて面白いです。
Posted by 小竹 哲 at 2023年11月07日 15:08
小竹さん、コメントありがとうございます。
私も東京で22年、岡山・金沢・函館・福島・大分で計8年、京都で22年という感じなので、自分がどこの言葉を話しているのか、よくわからなくなっています。
京都に住んでいても、京都に生まれ育った人と、よそから京都に移り住んだ人では、やはり言葉が違いますね。
Posted by 松村正直 at 2023年11月07日 19:51
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