2016年から2023年の作品332首を収めた第1歌集。
修辞の味わいを存分に堪能できる一冊。
灯油売りの車のこゑは薄れゆく花の芽しづむ夕暮れ時を
冬のひかり路地にまばゆし 人らみな郵便局に吸はれゆくなり
木のスプーン銀のスプーンぬぐひをへ四月の午後は裸足でねむる
天文台の昼しづかなるをめぐりをりひとり幽体離脱のやうに
円周率がピザをきれいに切り分けて初夏ふかぶかと暮るる樫の木
サンペレグリノの緑の瓶をつたひゆく汗・ねむくなる・ひとりでゐると
猫といふさすらふ湖(うみ)がけさはわが枕辺に来て沿ひてひろがる
歩むこと知らずひた立つ橋脚が彼岸に渡すわれの自転車
まだ青いどんぐりの実が落ちてゐる ふざけてゐて落下した子供
寝込んでゐて見逃した皆既月食のひと口食べて残す麦粥
散るといふよりも壊れてゆきながら体力で立つ桜みてゐる
御影石みがきてをればわが生(いき)の手もそちらへと映りこむなり
1首目、聴覚も視覚も薄れて遠ざかってゆくような静謐さを感じる。
2首目、サイレント映画のシーンのようだ。「吸はれゆく」がいい。
3首目、スプーンの柄の長さや匙の丸さが「裸足」とよく響き合う。
4首目、日常生活を離れた空間。でも夜ではないので星は見えない。
5首目、上句が鮮やか。ピザの円周を直径によって切り分けていく。
6首目、下句のひらがなや「・」の生み出すリズムが呪文のようだ。
7首目、気まぐれな猫の様子。ロプノールのように変幻自在である。
8首目、上句に発見がある。「脚」という名前だが歩くことはない。
9首目、下句は人間に喩えたらということか。もう枝には戻れない。
10首目、丸い器に入った麦粥のイメージが皆既月食と重なり合う。
11首目、最後の力を振り絞るような姿。「壊れて」に迫力がある。
12首目、つややかな墓石の表面が、生と死を隔てる境界線なのだ。
2023年10月2日、角川文化振興財団、2500円。