かつて子が言ひし「自分でできるから」いまは老いたる母が言ふなり
/小島ゆかり『雪麻呂』
熟したる厚き果肉を掘りすすみ核の付近で死んでいる虫
/北辻一展『無限遠点』
五十年も死んだままなるわが母よ茅花穂に立つ穂のなびくまで
/永田和宏『百万遍界隈』
今朝、朝日新聞を読んでいると、ちょうど昨夜の議論に関係するような話が載っている。こういう偶然の一致というのは、何だか嬉しい。
子どもの「自分でやりたい! 出来るようになりたい!」というエネルギーはすごいと子育て中の女性は言う。何かをやり遂げたいときの子どもはほんと一徹で、大人が気をつけないといけないのは、途中で急かせたり邪魔したりしないことだ。
/鷲田清一「折々のことば」
あらゆる生命体は、一瞬たりとも同一状態を保てない。「有る」ということは、刻一刻と「無く」なっていくことと同義だ。一刻一刻を生きている。それは、刻一刻と死につつあるということだ。
/近藤康太郎「多事奏論」
今日は午後から滋賀県東近江市で別邸歌会。
そう言えば、フリースクールをめぐる発言に対して「東近江市長へ批判拡大」という大きな記事も載っていた。