2004年に岩波書店より刊行された単行本の文庫化。
原本は1980年に講談社より刊行された。
「風景」「内面」「告白」「病」「児童」などをキーワードに、明治20年代の日本近代文学の成り立ちを考察する評論集。それはまた、「日本」や「近代」を問い直すことにもつながっている。
かなり難しい内容も含まれていて、全体の4割くらいしか理解できなかったけれど、それでも十分に面白かった。示唆に富む部分が随所にある。たまには、こういう硬い本も読まなくてはと痛感した。
近代に対して中世、古代、あるいは東洋を対置する人達は少なくない。しかし、すでに中世とは近代に対して中世を賛美するロマン主義によって想像的に見出されたものであり、東洋(オリエント)もまた同様に、近代西洋への批判として創造された表象である。
明治以降のロマン派は、たとえば万葉集の歌に古代人の率直な「自己表現」を見た。しかし、古代人が自己を表現したというのは近代から見た想像にすぎない。そこでは、むしろ、人に代わって歌う「代詠」、適当な所与の題にもとづいて作る「題詠」が普通であった。
もともと歌舞伎は人形浄瑠璃にもとづいており、人形のかわりに人間を使ったものである。「古風な誇張的な科白」や「身体を徒に大きく動かす派手な演技」は、舞台で人間が非人間化し「人形」化するために不可欠だったのである。
告白という形式、あるいは告白という制度が、告白さるべき内面、あるいは「真の自己」なるものを産出するのだ。(…)隠すべきことがあって告白するのではない。告白するという義務が、隠すべきことを、あるいは「内面」を作り出す。
結核は現実に病人が多かったからではなく、「文学」によって神話化されたのである。事実としての結核の蔓延とはべつに、蔓延したのは結核という「意味」にほかならなかった。
いずれも、逆説や転倒を含む論理展開が鮮やかで刺激的だ。この本の原書が著者39歳の作であることにも驚きを覚える。やはり、すごい人はすごいものだ。
2008年10月16日、岩波現代文庫、1200円。