2023年10月17日

吉野俊彦『鷗外百話』


日本銀行に勤めるエコノミストであり、また鷗外研究者として知られる著者の、鷗外に関するエッセイや講演70篇を集めた本。

当初は題名通り100篇を収める予定だったのが、分量の関係で70篇に絞ったとのこと。それでも376ページという厚さである。

文学者であり軍医でもあった鷗外の作品を、著者は「サラリーマンの哀歓」という観点から捉える。二足のわらじを履いた人生の苦悩を読み取るのである。

いままでの鷗外文学の研究は、専門の文学者かお医者さんか、いずれかの見方であったのですね。ところがサラリーマンという眼で、われわれと同じ悩み、喜びを持った、何十年も同じそういう生活をした鷗外の全作品を見直すと、その本質はサラリーマン文学なんだということを痛感せずにはいられない。
彼は大学を出て、軍医中尉格の「陸軍軍医副」に任官し、下級のサラリーマンとして世に出たのです。そしてそれを出発点としてずーッと何年も勤めたあげく、最後に最高の地位に到達したに過ぎない。その間、実に多くの迫害を受け、まさに辞職の一歩手前までいっているので、決して順風満帆の生涯ではなかったのです。
陸軍省医務局長という地位は軍医として最高の地位であったには違いないにしても、陸軍次官、さらに陸軍大臣という上級職の指揮下にあり、また形式的には同格の軍務局長、人事局長などに対しても、事実上劣位にあったことは否定できず、ある意味では中間管理職に似た苦境に立つ可能性を内包するものだったとみるべきである。

こうした観点に立って、著者は鷗外が味わった様々な人生の苦み(小倉への左遷、文芸活動に対する批判、陸軍次官との衝突)を具体的に記している。著者もサラリーマン生活をしながら、鷗外研究を長年続けるという二足のわらじを履いた人であった。鷗外に対する共感と敬愛の深さが滲む。

人間には必ず「興味」というものがある。この興味というのは天の啓示であり、神のおぼしめしである、と私は思っている。それを徹底的にやりなさいということを、天が命じているのだといってもよい。

専門の経済関係の本とは別に鷗外に関する研究書を十数冊刊行した著者の言葉だけに重みがある。

百年のちのベルリンへ人は出発し日が暮れて読む『鷗外百話』
       永井陽子『モーツァルトの電話帳』

1986年11月30日、徳間書店、2000円。

posted by 松村正直 at 22:12| Comment(0) | 森鷗外 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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