現代歌人シリーズ36。240首を収めた第6歌集。
〈長年「相棒」と内心呼んでいた女性〉の病気と死を詠んだ歌が大半を占めている。
伏見稲荷〈不死身(ふしみ)〉の音に通へれば不安もつ身の人と連れ立つ
看板の〈ゆ〉の赤き字がゆらゆらと手招きしをり古き町の湯
君のゐる病棟の窓をいまいちど仰ぎて帰るゆふづつのとき
片側に見えぬ死を載せ保ちゐる静けさありぬ昼のホスピス
ひとの乗る車椅子押す嬉しさよいまここに在る重み感じて
胸水と腹水を採る管もまた冷えゆくならむ魂(たま)失せし身は
君と来て癒(ゆ)を願ひたる御仏の慈顔や孤りいまはなに祈(ね)ぐ
ビル失せし更地の土に芽吹く草つかのまの生が陽を浴みてをり
迷へるは蟻はた吾(われ)か汝(な)が墓碑の〈南無阿弥陀仏〉の〈無〉の彫りのなか
あづさゆみ春の土筆(つくし)の尽くし得ぬ思ひにぞ生くいのちの苦さ
1首目、語呂合わせにも縋る思いで病気の見つかった人と参拝する。
2首目、懐かしい光景。薄暗くなった町に銭湯の赤い文字が浮かぶ。
3首目、見舞いを終えた帰りに名残を惜しみ祈るような思いで見る。
4首目、生と死のぎりぎりのバランスの上に成り立っている静謐さ。
5首目、車椅子を押す時に感じる肉体の重さは生きている証である。
6首目、身体につながれている管も死の後に同じように冷えていく。
7首目、御仏の姿は以前と変わらないが、もう何も祈ることがない。
8首目、人の一生も長い時間の中ではこの草のようなものなのかも。
9首目、まるで迷路のような「無」の文字から出ることができない。
10首目、初二句は序詞。埋めようのない喪失感を抱えつつ生きる。
2023年4月8日、書肆侃侃房、2000円。