2014年から2023年までの作品498首を収めた第9歌集。
亡き夫や息子の死を詠んだ歌が印象に残る。師の岡野弘彦を詠んだ歌も多い。
腰までを覆へる夫のカーディガン濃紺にして身にあたたかし
霊園の芽吹きの木の間をマラソンの青年つぎつぎ駆け抜けゆけり
歓びの声たつる子へしぶきあげ海豚三頭身を反らし飛ぶ
しのび泣く若きを宥むるこゑ聞こゆ真夜のカーテンのいずれかのうち
花道を小走りに来る勝ち力士懸賞金の熨斗袋手に
床に差す朝の光は真(ま)清水の小さき泉 素足ひたさむ
秋の陽に透き通りて佇つスカイツリー百済観音の水瓶(すいびやう)のごと
新盆に求めし廻り燈籠の組み立てはかどる回を重ねて
灯り消し寝よと諫めし夫の声半ば待ちつつ夜を徹し読む
昨日までパン生地こねゐし媼ならむ手をひかれ国境の仮橋わたる
1首目、亡き夫の大きめの服。守られているような安らぎを覚える。
2首目、死者のいる霊園と健康的なランナーたちの対比が鮮やかだ。
3首目、水族館のイルカショー。飛沫が掛かる前から大興奮である。
4首目、入院中に聴いた同部屋の患者の様子。「若き」がせつない。
5首目、喜びに身体ごと弾んでいるような感じがよく伝わってくる。
6首目、明るく清浄な光を泉に喩えたのが美しい。結句も印象的だ。
7首目、個性的な比喩。水瓶だけでなく百済観音の細身の姿も思う。
8首目、新盆の時は組み立てに手間取ったのだろう。慣れる寂しさ。
9首目、どこかから夫の声が聞こえてこないかと待ち望んでしまう。
10首目、ウクライナから避難する人。一瞬にして日常が失われた。
2023年5月9日、砂子屋書房、3000円。