2007年に日本放送出版協会より刊行された『漢文脈と近代日本 もう一つのことばの世界』を文庫化したもの。
江戸から明治・大正にかけての文献をたどりつつ、漢文脈(漢文や訓読体など)が近代の日本語において果たした役割や、そこからの脱却の過程を論じている。この本も非常におもしろかった。
漢字文化圏というタームは、漢字が流通した地域の共通性を探ることに重点が置かれる傾向がどうしてもありますが、むしろ、漢字や漢文は、それが流通した地域の固有性や多様性を喚起したという側面にこそ、ほんとうは注目すべきであるように思います。
思考の問題と文体の問題は、切り離して論じることはできません。漢文こそが、天下国家を論じるにふさわしい文体であり、それがなくては、天下国家を語る枠組み自体が提供されなかったのです。
文語と口語の違いは、文章で用いるか口頭で用いるかという使用の局面以上に、その学習過程に決定的な違いがあることに留意する必要があるでしょう。
漢詩文における公と私の二重性を熟知し、また、自らの生き方としても、その二重性を全うしようとした明治の文学者として森鷗外は重要です。
漢文脈について考えることは、私たちが現在使っている日本語について考えることに直結している。そもそも漢文脈を抜きにして、日本語を論じることはできないのだ。
先人たちは漢文脈と格闘し、ある者はそこに生き、ある者はそこに風穴を開け、ある者はそこから外へ出て行きました。それによって、今の私たちのことばが成り立っているとすれば、私たちのことばが何であるかを知るためにも、今度は逆の方向から、漢文脈の世界へと足を踏み入れる時期に至ったとは言えないでしょうか。
なるほど、これは言ってみれば中国との関係を抜きに日本史を語れないのと同じことなのだろう。
2014年5月25日初版、2021年3月5日4版。
角川ソフィア文庫、840円。