2023年08月14日

坂井修一歌集『塗中騒騒』

著者 : 坂井修一
本阿弥書店
発売日 : 2023-07-10

2017年から2021年までの作品521首を収めた第12歌集。
老いた母(と父)を詠んだ巻頭の「たらちね」24首に力を感じる。

ひよひよと鶉となりてさまよへりつくし野病院あけぼのの母
ちあきなおみ「夜間飛行」をうたふ母 父でもわれでもなき人恋ひて
虫を食ふおほきなおほきなヤゴだつたいまむくどりに追はるるとんぼ
「茂吉さん」「白秋さん」そつと呼んでみるこの本棚はあの世の扉
怒りもて黙せばわれの胃の壁やぽつんぽつんと血の小花咲く
川あればふたつ岸あり大淀の彼岸ふくらむ花街あかり
蠅を食ひ蛾を食ひ虻食ひ蝶を食ひしあはせならむ蜘蛛のからだは
われひとりしづくも絶えてなほゐるはものおもふゆゑあした御不浄
忘られて三四郎池あゆみきぬまつぱだかなりこの藤蔓も
盤上の縛りのと金ほのぼのと見ゆれば王はもう死んでゐる

1首目「よ」「の」の音の響きが徘徊する母の弱々しい姿を伝える。
2首目、下句が何ともせつないが、母には幸せな時間かもしれない。
3首目、幼虫の時は強かった蜻蛉が、今は逆の立場に置かれている。
4首目、この世にいない人と本の世界では親しく会うことができる。
5首目、ストレスによる出血や潰瘍を「小花」に喩えたのが印象的。
6首目、初二句の言い切りががいい。川向うには別の世界が広がる。
7首目、下句への展開に意外性がある。これがまさに命のありよう。
8首目、結句で初めてトイレの歌とわかる。束の間のひとりの世界。
9首目、人間もまた本来「まつぱだか」な存在だという思いだろう。
10首目、渡辺対藤井の棋聖戦。結句がケンシロウの台詞みたいだ。

「わたしも蝶だ」「ハシブトガラスの姿でわたし」「スカラベとなりて」「亀に転生するわれか」「わたしけふから歌うたふ虻」「われはいま憂愁の鴨」「われはいま山椒魚か」など、しきりに人間以外のものになりたがっているのが印象に残った。

2023年7月10日、本阿弥書店、2700円。

posted by 松村正直 at 07:42| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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