2023年08月07日

濱松哲朗歌集『翅ある人の音楽』


「塔」所属の作者の第1歌集。
2014年から2021年の作品420首を収めている。

年相応の年収といふ幻想を休憩室のテレビにて見つ
元服のやうに名前を変へながら川にひかりの起伏ほころぶ
Tシャツは首まはりから世馴れして部屋着つぽさを刻々と得る
白鳥を焼くをとこゐて私にもすすめてくれるやはらかい部分
雪原よ われはわれより逃れ来て消されるまでを碑文に刻む
またひとりここからゐなくなる春の通用口にならぶ置き傘
絵葉書に切り取られたるみづうみの青、ほんたうのことは言はない
水草の眠りのやうに息をするあなたの土踏まずがあたらしい
箔押しの表紙のごとくわが視野にわづかに開く白梅の花
ここにきてやうやく合つてきたやうな身体、わたしの終の住処よ
しんどいと言はなくなつた頃からが正念場だと、根菜を煮る
この部屋にときをり出逢ふ蜘蛛のゐて積みたる本の谷あひに消ゆ

1首目、働き方が多様になった今も正社員中心の古い価値観が残る。
2首目、流れの途中で名前が変るのを元服に喩えたのがおもしろい。
3首目、世馴れすることの是非がTシャツを通じて問い掛けられる。
4首目、こうした薄暗い誘いが踏絵のように働く。抗うのが難しい。
5首目、歌を詠むことは、自身の存在を証明することかもしれない。
6首目、職場を辞めていった人の残した置き傘が徐々に増えていく。
7首目、写真の湖と本物の湖は違う。枠を設けて自分の内面を守る。
8首目、親密な関係にある相手。「土踏まず」への着目が印象的だ。
9首目、咲き始めた白梅の輪郭の鮮明さを箔押しに喩えたのだろう。
10首目、身体からは出られないので、折り合いをつけるしかない。
11首目、結句の取り合わせがいい。根気よくといった気分だろう。
12首目、同じ部屋に生きている者同士の連帯感。同居人みたいだ。

2023年6月24日、典々堂、2500円。

posted by 松村正直 at 17:25| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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