「塔」所属の作者の第1歌集。
2014年から2021年の作品420首を収めている。
年相応の年収といふ幻想を休憩室のテレビにて見つ
元服のやうに名前を変へながら川にひかりの起伏ほころぶ
Tシャツは首まはりから世馴れして部屋着つぽさを刻々と得る
白鳥を焼くをとこゐて私にもすすめてくれるやはらかい部分
雪原よ われはわれより逃れ来て消されるまでを碑文に刻む
またひとりここからゐなくなる春の通用口にならぶ置き傘
絵葉書に切り取られたるみづうみの青、ほんたうのことは言はない
水草の眠りのやうに息をするあなたの土踏まずがあたらしい
箔押しの表紙のごとくわが視野にわづかに開く白梅の花
ここにきてやうやく合つてきたやうな身体、わたしの終の住処よ
しんどいと言はなくなつた頃からが正念場だと、根菜を煮る
この部屋にときをり出逢ふ蜘蛛のゐて積みたる本の谷あひに消ゆ
1首目、働き方が多様になった今も正社員中心の古い価値観が残る。
2首目、流れの途中で名前が変るのを元服に喩えたのがおもしろい。
3首目、世馴れすることの是非がTシャツを通じて問い掛けられる。
4首目、こうした薄暗い誘いが踏絵のように働く。抗うのが難しい。
5首目、歌を詠むことは、自身の存在を証明することかもしれない。
6首目、職場を辞めていった人の残した置き傘が徐々に増えていく。
7首目、写真の湖と本物の湖は違う。枠を設けて自分の内面を守る。
8首目、親密な関係にある相手。「土踏まず」への着目が印象的だ。
9首目、咲き始めた白梅の輪郭の鮮明さを箔押しに喩えたのだろう。
10首目、身体からは出られないので、折り合いをつけるしかない。
11首目、結句の取り合わせがいい。根気よくといった気分だろう。
12首目、同じ部屋に生きている者同士の連帯感。同居人みたいだ。
2023年6月24日、典々堂、2500円。