森鷗外について書かれた追悼文や回想など55篇を収めたアンソロジー。執筆者は、与謝野晶子、坪内逍遥、佐佐木信綱、小山内薫、平塚らいてう、芥川龍之介、小堀杏奴、森類、森茉莉など。
鷗外の素顔や人柄などが多面的に浮かび上がってくる内容で、すこぶる面白い。没後100年を記念して編まれた本であるが、鷗外のことが非常に身近に感じられる。
どうも病気が重いようだったから、私が劇しい手紙を出して、医者に見て貰って薬用しろと云うと、その返事に、馬鹿を云うな、一年かそこらの生命はなんだ、一行りでも一字でも調べて行くのが自分の生命だ、それゆえ仕事を継続しているのだ、それをやめて養生して一年二年生き延びても、自分において生きてるとは思わない、再び云ってよこすな……と先ずそういう精神なので(…)(賀古鶴所「通夜筆記」)
兄は自分の周囲は綺麗に整頓して置くのが好きで、机は大小二脚を備え、右手の小の方に硯、インキ壺、筆、ペン、鉛筆、錐、鋏その他文房具を浅い箱に入れて載せ、正面の大机に書籍なり原稿紙なり時に応じて置くという工合にし、小机の横から自分の背後に参考書その他必要書類を一山一山正しく重ねて置き、暗中でも入用にものは直ぐ分るようになっている。(森潤三郎「兄の日常生活」)
私の思うままを有体に云うと、純文芸は森君の本領では無い。劇作家または小説家としては縦令第二流を下らないでも第一流の巨匠で無かった事を敢て直言する。何事にも率先して立派なお手本を見せて呉れた開拓者では有ったが、決して大成した作家では無かった。が、考証はマダ僅に足を踏掛けたばかりであっても、その博覧癖と穿鑿癖とが他日の大成を十分約束するに足るものがあった。(内田魯庵「森鷗外君の追憶」)
先生は一体、所謂天才らしい所の無い方であった。夏目さんや芥川龍之介や晶子夫人などに見る如き才華煥発の趣きは、若い時のことは知らないが、私どもが知る限りでは微塵も無い。人物の上にも無い、作物の上にも無い。その反対に理性の権化のような先生が規帳面に作られた文章が、返って落付きがあって奥光りがして人をして永く厭かしめざること、所謂天才家のそれに優っていることは驚くべきことである。(平野万里「鷗外先生片々」)
先生はいつも独りである。一所に歩こうとしても、足の進みが早いので、つい先きへ先きへと独りになって仕舞うのだ。競争と云うような熱のある興味は先生の味おうとしても遂に味えない処であろう。自分は先生の後姿を遥かに望む時、時代より優れ過ぎた人の淋しさという事を想像せずに居られない。(永井荷風「鷗外先生」)
引用が長くなったので、これくらいにしておこう。
どれも鷗外に対する深い思いのこもった良い文章ばかりだ。
2022年5月13日、岩波文庫、1000円。